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「自己実現」とは「欲望の実現」



「自己実現」と言う言葉をとても良く耳にするわけです。


これには、「夢をかなえる」とか「やりたいことを見つける」と言うような意味も含まれると思いますけれど、もう少し現実的な印象もあって、社会の中で、自己の位置づけを確立して確固たるものにするというようなこともあるのだと思うわけです。

要するに、金銭や地位・名誉と言った現実的なものに対する「欲望」の達成を「自己実現」と言っている部分がかなりあるのだと思うわけです。


現実的な欲望を達成するのが、悪いことだと言うつもりはないのですが、その種の「欲望」を強く持っている人と言うのは、それを、あえて「自己実現」などとは言わないように思うのです。

彼らは、きっぱりと「お金が欲しいんだ」とか「有名に(偉く)なりたい」と言うでしょう。


そこでなんで「自己実現」と言う言葉が使われるのか?
おそらく、本来ならば、その種の「欲望」を、それほど強くは持っていない人が、「自己実現」と言っているのではないかと思うわけです。
(想像ですが)


そこで、「欲望」を剥き出しにしてまで、それを達成したいと思わないような人たちが、この言葉に”惑わされて”しまっているようにも思えてしまうわけなのです。

「欲望」とか「お金」とか「地位」とかと言われれば、『いえ、そこまでして』と言うような、言わば奥ゆかしい性質の人達が、「自己実現」と言うキーワードを提示されると、それに従って、「自己実現」しなければいけないような時代の空気があって、それによって、本来起こらないはずの競争が起きているように思うわけです。

そして、その競争によって、社会全体が、とても”ギスギス”した雰囲気に包まれてしまっているように思うのです。


欲望の達成に対する「強い願望」を持っている人たちは、常に一定の数で存在するのでしょう。
その人たちにとっては、それがもともとの性質ですから問題はないように思うのです。
そして、そういう人達が居ることは、必ずしも悪いことだとは思わないわけです。

でも、本当ならば、それらの人を横目で見ながら、それとは違う方向を向いて行動しているはずの人たちが、「自己実現」と言うキーワードで「欲望」を増幅させられてしまって、「望んでもいない欲望」や「大してやりたくもない達成」を勝ち取るための競争に向かわされているように見えるのです。

そして、それがどうも不自然なわけです。


「自己実現」には、「社会貢献」や前述の「夢をかなえる」とか「やりたいことを見つける」みたいな、”剥き出しの欲望”とは違う面もあるので、”惑わされ”やすくなっているんじゃないでしょうか?


だから、「自己実現」したいと思っている人は、その前向きな「自己実現」が、実体としては自己の「欲望」の達成を意味することだということを意識したうえで、それでもまだ、そこで競争してまでそれを勝ち取りたいのか?ということに答えを出してから、そこに向かった方がいいのではないのかなと思うわけです。


それから、はじめに述べたような、「夢をかなえる」や「やりたいことを見つける」なんていう非現実的なことと、「お金」や「地位」というような現実的なこととは、原則的に両立することは無いわけです。

それが両立しているケースがあったとしても、それは何かしらの特例であって、それを両立させるために努力するということは、徒労に終わることが多いのだと思います。

「自己実現」と言うと、それらが両立できる範囲のことであるかのような幻想が創り出されて、それが、あたかもリアリティのあることのように思えてきてしまうということがあるわけです。

実際に、「お金」や「地位」を確実に獲得していく人と言うのは、基本的に、初めから「夢」とか「やりたいこと」なんていう実益が薄いことに興味を持っていないことが多いわけです。
と言うか、そういう人たちにとっては、「お金」や「地位」こそが、「夢」であり「やりたいこと」でもあるわけですから、「お金」や「地位」を得ることが出来れば、「夢」も「やりたいこと」も自動的に両立してしまうわけなのです。

でも、「夢」や「やりたいこと」が「お金」や「地位」ではない人は、ほとんど両立できないものを両方同時に得ようとするわけですから、、”イライラ”して来て、”ギスギス”してしまうのだと思います。


つまり、「自己実現」を望むことで、結果的に「自己不満」を作り出してしまっているというわけです。
少し極端にいうと、現代社会に蔓延している「ストレス」の一つが、「自己実現」というキーワードによって引き起こされているように思います。


そもそも、そんなに高い「自己」を「実現」しなければいけないのでしょうか?

そんなことは無いと思うのです。

もっと普通のことを「実現」するだけでも素晴らしいんじゃないかと思うわけです。
と言うか、「人間として当たり前のこと」をするだけでも結構大変で、それだけでも、十分に高い目標かとも思われるわけなのですから、それ以上は、無理なんじゃないかなと。

でも、そういう「当たり前のこと」が社会で認められていなかったりするわけです。
だから、それは「自己実現」とは呼ばれないのでしょう。


「自己実現」という「自己不満」に陥るか、「非・自己実現」という「自己満足」を得るか、と言う選択なのでしょう。
要するに、両方”パッとしない”わけです。

つまり、『どっちみち”パッとしない”』という状況が、「自己実現」というキーワードによって生み出されているような気がします。


でも、そういう”ジミな感じ”のことをもっと積極的に認めて、評価の対象にしていくことが必要になっていくんじゃないのかなと。
そんなことで「ストレス」という「現代最大の病」が克服できるなら、安いもんじゃないのかなと。


そんなことも考えられるのかなと思ったりするわけです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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