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「持論」を持つこと



「持論」を持っている人の話には、ついつい引き込まれてしまうわけなのです。

世の中に、これだけいろいろな情報が溢れていても、その人にしか語れないような、独特な言葉と言うのがあると思うのです。


そういった、いわゆる「持論」と言うのは、「ある種の自己満足」だったり、「勝手な思い込み」だったりすることもよくあるわけです。
それに、なんと言っても、”何の役にも立たない”場合が非常に多いわけです。

それなのになぜか、「持論」や「持論を展開する人」には、惹きつけられてしまうわけなのです。


たぶん、それは、その人が丸ごと出てしまっているような、そういう人間的な雰囲気に、惹きつけられて『おもしろい』と思ってしまうのです。


本に書いてあるような”マトモ”なことだと、言っていることが正しくて役にも立つ場合でも、自分がもともと興味のあることでない限り、引き込まれるということは、めったにないわけですけれど、「持論」的なものに出会うと、けっこう理屈が”デタラメ”でも、私は、ついつい引き込まれて、聞かされてしまうのです。


それは、その話の内容が独創的ですごく面白いからとか、ユニークで、今までに一度も聞いたことも無いような話だから、と言うのではなく、内容的にはありふれた話でも、その人独自の視点みたいなものがあって、『その話の中で、なんであえてそこにこだわりますか?』と言うような、その人にしか醸し出せない雰囲気にやられてしまうわけです。

だから、その話が”デタラメ”でも気にならないわけです。
むしろ、”デタラメ”な方が面白いことが多いくらいです。


もちろん、その「持論」を、何らかの権力を笠に着て振りまわすというのは論外ですが、そういう人が振りまわすのは、往々にして「持論」ではなく、教科書に載っているような話なのです。

だから、まったく惹きつけられません。

”デタラメ”な「持論」の方が、よっぽどいいです。


そして、できることなら、みんなが、それぞれの「持論」を持つようになればいいと思います。

教科書に載っていることを言っていれば”ツッコマレなくて”安心だから、みんなが教科書の中に”ヒキコモッテ”しまって、本当は心の中に持っているはずの”デタラメ”な「持論」を隠してしまっていると思うのです。

人から見たら”ツッコミどころ満載”の「持論」こそが、本当のその人の「丸ごとの姿」で、その人にしか語れない言葉だと思うのです。


教科書に載っていることは、学校で学ぶだけでもう十分なので、みんなで”身勝手でデタラメな”「持論」を展開したらいいんじゃないのかなと。


そういう世の中って、なかなか無いけど、けっこうイイんじゃないのかなと。

『いや、良くはないか?』

『いやいや、良くないところがイイんじゃないですか?!』


そんな風に思います。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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