一気圧のプレッシャー
普通に地球上で生活していると、いつも”一気圧のプレッシャー”がかかっているわけです。
でも、これは「大気圧」だけのことでもないように思われるわけなのです。
世の中にはもう一つ、社会がかけている”一気圧のプレッシャー”もあるのかなと。
みんな、生まれてこの方ずっと”一気圧のプレッシャー”を受けていますから(高地民族とかいう話は置いといて)、それをあえて意識する人はほとんど居ないわけです。
情報として、「大気圧」と言うものを知っているから理解できますけれど、それが無ければ、たぶん自分に四六時中「圧力」がかかっているなんて考えないと思うのです。
それと同じように、いつも社会から受けているのに、全く意識されなくなってしまっている「圧力」と言うのがあると思うわけです。
「社会」は、常に「時代」が指し示している方向へと流れていくものだと思うのです。
そして、その流れの水圧が、「社会の中にいる人間」にはかかっていると思うわけです。
でも、はじめから「社会」の中で生まれて「社会」の中で育つわけですから、「大気圧」と同じで、流れの中にいることも、その流れの水圧によって流されていることも、意識することすら無いわけです。
そういう”一気圧のプレッシャー”が時として、「社会」に生活している人間を、知らず知らずのうちに蝕んでいるように思えるのです。
それが”一気圧のプレッシャー”である間はまだいいのですけれど、いつの間にか「高気圧」に包まれていたり、「低気圧」が張り出して来たり、ということがあるわけです。
でも、普段から全く意識されていませんから、そういう「気圧変動」になかなか気が付かなかったりするわけなのです。
それで蝕まれてしまうのだと思うのです。
ひょっとしたら、この”一気圧のプレッシャー”から逃れることを、「自由」と言うのかもしれないなと、そんな風にも思うのですが、人は「社会」の中でしか生きられないとも思いますから、逃れる術はないとも思ってしまうわけなのです。
唯一出来そうなことと言えば、この”一気圧のプレッシャー”を感じながら生きてゆくことでしょうか。
それは、「自由」への”まなざし”を持って生きることでもあると思います。
叶わぬ「自由」を望みつつやっていくというのも、悪くはないのかなと。
そんなことで、一応納得したような感じ。
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