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「老化」は「劣化」ではないと思うのです



前に、他の記事でも触れたことなのですけれど、現在日本では、「年をとること」を「劣化」と見る傾向があると思うのです。


確かに、物はすべて経年とともに「劣化」するわけですけれど、それは、あくまで物質的なことに限ってであって、それを精神世界にまで当てはめてしまうことには、問題があると思うわけです。

つまり、本の表紙が擦り切れたり、印刷のインクが薄れてしまったことを、その本に書かれている「内容の劣化」と看做してしまうことは、まったくもって理にかなっていないということですね。

本についてだと、まったく当たり前のことであるのに(さすがに、本がすり切れていることと、本の「内容」がダメだということを混同している人はいないでしょう)、人間についてだと、「老化」と言う「物質的な劣化」が、「精神的な劣化」でもあるかのような誤りが、まかり通ってしまっているように思うわけです。


人間の脳の中の、精神世界に蓄積された情報と言うのは、本で言う所の「内容」にあたるもので、それは劣化することは無いわけです。

そう言うと、年を取って物覚えが悪くなることや、頭の回転が遅くなることは「精神的な劣化」ではないのかということに成るわけですが、それは脳と言う器官の「物質的な劣化」であって、蓄積された「情報」や「思考」の「劣化」とは全く違うものなわけです。


また、一部の人(大半の人かも?)においては、記憶力が衰えるのは、情報の蓄積量が膨大な量に及んだ結果、飽和状態に達したためであり、頭の回転が衰えるのは、思考が高度に複雑化して、非常に曖昧な判断を下そうとするためであるという考え方もできると、私は思っていますので、それは、「物質的な劣化」に限った話としても、やや誤解があると思うわけです。


いずれにしても、「精神世界」は全くといっていいほど「劣化」しないものだと思うわけです。

むしろ、それは年をとることで「変化しなくなる」と言った方が正しいわけで、「進歩」や「発展」はしなくなりますが、「劣化」もしないわけなのです。

「進歩」や「発展」をしなくなるのは、人間の機能の「物質的な劣化」によって起きて来る結果である場合と、「進歩・発展期」から「成熟期」に移行したことの結果である場合があると思います。

そのどちらも、「精神的な劣化」と混同することは間違いであると思うわけですね。


若者が、「老境に至った者」の「複雑化した思考」を理解でないのは、仕方ないことなのでしょうが、当の「老境に至った者」たち本人が、それらの膨大な「情報や思考の蓄積」を、とても粗末に扱ってしまっているわけです。


もっと、誇りをもって『まだ君たち若者にはわからないだろうね』と言っていいように思うわけです。

実際に、若いころには考えつきもしなかったことが、長年かかって徐々にわかってくるということは沢山あるわけで、”デリケート”で、”微妙な”なことに成ればなるほどその傾向も強いわけです。


おそらく、それは膨大な「蓄積」によってのみ成し遂げられる最も複雑な作業であって、「年寄りの戯言」などではないのです。
と言うよりは、その「年寄りの戯言」こそが、実は「最も複雑な作業」かも知れないのです。


だから、年寄りも若者も、それらの「蓄積」を蔑ろにしているということは、本の表紙が擦り切れてしまったからと言って、その本を捨ててしまって、そこに書いてある素晴らしい「内容」をも一緒に捨ててしまうようなものだと思うわけです。


それを大切に扱うことで、「年寄り」においては、自分の「人生の蓄積」を、そこに集大成することが出来るわけですし、「若者」においては、将来の自分が、誇りを保って人生の終焉に向かっていくモデルを見ながら生きていくことができるようになると思うのです。


「老化」は「劣化」などではなく、それは、人生を締めくくるための最後の「変性」なのではないかと思うのです。

それは、長い期間を幼虫で過ごした昆虫が、最後に美しい姿の成虫に「変性」して、その数日後には死んでしまうのと似ていると思うのです。


人間にとって、二十歳での成人は「肉体的・物質的な成人」で、人間の本質に根差した「精神的な成人」は、実は、「老齢期」なのではないのかなと。

そんな風にも思えてくるわけなのです。


※ただし、これは『歳をとったら、威張ってもイイ』ということでも、『若者なんて、話にならん!』ということでもありません。
そんなの当たり前ですよね!



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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