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「空気を読む」ということ



現代社会においては、「空気を読むこと」が必要以上に重要視されているように思えるのです。
でも、それは単なる”日和見”にしか思えない場合がとても多いわけなのです。


『空気を読む』と言っていますけれど、読んでいるのは、強い立場にある者の「空気」である場合が非常に多いわけで、弱い立場にある者の「空気」を読んでも、それは「空気を読んだこと」にはならないわけです。

つまり、それは日和見的な人間が、自分の日和見的な行為を正当化するために、『空気読めよ!』などと言って、自分の日和見な姿をゴマカシているのに過ぎないわけです。


「空気」なんか読めなくていいと思うのです。
「空気」なんて無視して、やりたいようにやればいいと思うのです。


いま、必要なことは、「空気を読む」ではなくて、
「人の心に同化すること」だと思うのです。


悲しんでいる人が居たら、「自分も悲しくなること」

何かに憤慨している人が居たら、「一緒に憤慨できること」

喜んでいる人が居たら、「自分まで意味もなく喜べるということ」

そういう、感情が希薄になっているように思うわけです。


もちろん、自分自身が「喜怒哀楽」を感じることも、感情の起伏なのでしょうが、人のつながりが薄くなってしまっている現在、人の感情に同化できるということが、最も重要視されていいように思うわけなのです。

そして、そうした「心の同化」から生まれるものが、とてつもなく大きいように思うわけです。


一人の感情は一人分ですが、「同化」して、「共有」された感情は相乗的な広がりを持つのだと思います。

それに比べて、『空気を読め!』はどうでしょうか?
私は、そこに、ちっとも広がりを感じませんね。

いま、「同化」がもっと重要視されていってもいいのかなと。
そして、「空気読め!」はもっと軽視されてもいいのかなと。


そんな風に考えてしまうわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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