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ほとんどのことが「大きさ」で決まっている?



時々、思うことなのですけれど、
世の中のほとんどのことが、実は「大きさ」で決まっているんじゃないのかなと。


例えば、スポーツなんかでも体が大きい方が有利だったりするわけです。

相撲などの体重制が無い格闘技では圧倒的に有利ですし、バレーボールやバスケットでも確実に有利でしょう。

もちろん体の大きさと関係ないスポーツもありますが、それですら、まったく同じ条件で比べた場合、「大きさ」が決定力を持ってくるということは否定できないわけです。


それから、小さい方が有利なものもあるわけですが、どちらかと言えば、一般的なスポーツとしては人気のないスポーツだったりします。
たとえば、同じスポーツの中で比べても、最重量級の人気が高い場合が多いというようなことです。

それだけ、人が「大きさ」に魅力を感じているようにも思えるわけです。


スポーツに限った話でもなくて、企業だって大きい方が有利でしょうし、どんなものでも、かなりの比率で大きい方が”得”な場合が多いように思えるわけです。


「大は小を兼ねる」と言うような感じですか?
ちょっと違うような気もしますが、ともかく、「大きさ」は一つの絶対的な”チカラ”だと思うわけです。


でも、だからこそ、この「大きさのチカラ」を、「芸術」で使うのは、やめといた方がいいんじゃないかなと思っているわけです。


現代美術の作品には、この「大きさのチカラ」を使っているものが多いように思うのですが、それに頼ってしまってはいけないように思うわけです。


「大きさのチカラ」には、今述べたような「絶対性」があるのだと思うわけです。
だから、「作品」を大きくすれば、確実に「力強くなる」と思います。

でも、それは「作者のチカラ」でも「作品のチカラ」でもなくて、「大きさのチカラ」だと思うのです。


だから、できるだけ「大きさのチカラ」は排除していかなければ、その作品における作者の表現が隠されてしまうと思うわけです。

作品を作る上で必要十分な「大きさ」のなかで、常に『できるだけ小さく』と言う発想で考えていった方がいいと思うわけです。
そこで、『どうしてもこの大きさになってしまった』というのが、あるべき姿なのかなと。

※逆に言うと、『どうしても大きくなってしまう』ということは、それに
 見合うだけの構想があってのことだということに成るわけですね。

ほとんどのことが「大きさ」で決まってしまう世の中だからこそ、「芸術」は、それに逆行しなければいけないような気がするのです。


巨大化した作品は、エンターテイメントとしての評価は出来ても、「芸術」としては評価できないのではないのかなと。


そんな考え方で、”「大きさ」で決まってしまう世の中”から取り残されること、それこそが、まさに、私の考えるところの「芸術」の立場であるわけなのです。


だから、そんな考えで行きたいと思っております。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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