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学校で教えてもらいたいこと:初等教育編



人間は、ほとんど教えられたことしかしないのだと思うわけです。
だから、必要性の高いことは学校でしっかりと教えてもらいたいなと思うわけです。
(本当を言えば、教えられたことを元に自分で考えるというのがいいわけですけどね)


現在、学校教育に著しく欠けている部分と言うのがあると思うわけです。
と言っても、「もっと教育プログラムを増やしていろいろなことを教えよう!」という話ではなくて、むしろ、教えなくてもいいことがたくさんあるならば、そちらを止めてしまえば、時間は余るほどあるんじゃないか?ということなわけです。


現行の教育制度が定着してから、ずいぶん時間がたっているわけですし、もういい加減、現状のプログラムの中で不必要に時間がかけられている部分と言うのが見えてきているように思うわけです。


それなのに、ただ単に固定的な考えに縛られて、大きくプログラムを変えられないでいることが弊害になっているわけです。


極端な考え方なのかもしれませんが、音楽や体育、美術など「一応教えましたよ」と言う形式的な、教育者側の自己弁護のためだけにしかなっていないようなプログラムに意味があるとは思えないわけです。
(これは教育に携わっている人を責めているのではなく、現在の学校教育のシステムについての話です)


音楽や美術などの、興味のない人に強制的に教えても、あまり意味を持たないようなものを、完全な惰性で”ユルユル”な授業をやっても意味があるとは、まったく思えません。
(無理にでも「教えてますよ」という形を作ろうとするからそうなるのだと思います)

体育にしても、健康維持の目的はあるでしょうが、実際に成人病に成るのは数十年後なわけで、小学校や中学で、”一応やった”体育の授業が「国民の健康」にどれほど役立っているのかは疑問ですし、子供の健康を考えた場合でも、それが現状の体育の授業で達成されているとは到底思えないわけです。


これらは、何もこうした科目に限ったことでもなくて、現状で、主要な科目であると考えられているような「数学(算数)」や「国語」、「理科」、「社会」、それらのどれについても、、多かれ少なかれ言えていることではないかと思うのです。


つまり、全ての面で教育機会を均等にしようという考えに無理があるということかなと。

むしろ、こういう無理な「機会均等」が不得意なものに対するコンプレックスを生み出しているというケースの方が圧倒的に多いように思うのです。

そして、学ぶことは、日に日に増えていくのに、時間が増えるわけではないのですから、何かを増やしたのであれば、その都度何かを減らさなければいけなかったわけです。

それをせずに、野放図にプログラムを増やしてしまい、手に負えなくなると、その欲張った形態を維持したまま、それを薄めるように授業数を減らして見たりと、その場しのぎのやり方を続けてきたということだと思うわけです。


そして、その結果「学校教育に著しく欠けている部分」が出てきてしまったのだと思うわけです。


いま授業でやっていることの中で、本当に必要なことはどれほどあるのか?となると、「読み書きそろばん」的な生活に必要な「算数」と「国語」と(今は、パソコンの基礎的な習得も「読み書きそろばん」に含まれるのでしょう)、最低限の健康維持のための「体育」ぐらいではないかと思うわけです。


他の科目は、短期間で習得できてしまうような、ごく基礎的な内容で足りるように思います。
と言うか、足りなくても切り捨てるべきなら切り捨てなければ、他に学ぶことがあるのであれば、そちらを優先しなくてはしょうがないんじゃないのかなと。


先ず、「道徳」や「哲学」が完全に”抜けて”います。
『そんなものこそ役に立たないだろ!』と言われそうですが、そういう話になってしまうことこそが、それらが”抜けて”いる証拠でしょう。

「道徳」の無い社会がまともに機能するはずがないわけですし、「哲学」を持たない人が何かを生み出すことは不可能ですから、
それらが”抜けて”いるということは、他のことをいくら学んでも、それが役には立たないということです。


だから、今よりも低学年から(と言うよりもはじめから)積極的に、「道徳」や「哲学」を教えていくべきだと思うのです。

そして、それと似たようなことですが、「読み書きそろばん」の部分はできるだけ早く終えて、今よりもっと早い段階で、個々に適した専門的な教育を受ける機会を作るべきだと思うのです。
(優等生の「飛び級」とかそういうことではなく、全員が受けられる機会としてですね)

そうすれば、現行の大学を終了するのが数年は早くなるのではないかと思われます。


でも、こういうことを言うと、『それでは一部の優等生にとっては良くても、落ちこぼれる子供がたくさん出てきてしまうだろう』と言う人が居ると思いますけれど、それは、子供のことを見くびっていると思うのです。


実は、落ちこぼれる子たちは、”能力がない”子達ではなくて、”やる気がない”子たちです。

やっても役に立たないことや、自分に興味のないことを、半ば強制的にやらされているから、”やる気がなく”なって、落ちこぼれるのだと思うのです。

ここはひとつ、”子供の潜在力”を信じて、専門教育を与える時期を早めてもいいように思います。


不登校が多いのは、一面に「役に立たないこと」ばかり教えているからかもしれないなと。
そこをハショッテ、自分の興味のあることだけやっていればいいのだったら、少しは「学校に”行きたくて行く”子供」が増えるのではないのかなと。

そんな風に思っています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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