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学校で教えてもらいたいこと:高等教育編



前の記事の続きになります。

現在日本の教育においては、義務教育を終えた後の高等教育においても、著しく欠如した部分があると思っています。


主に大学や専門学校の話です。

教育の最終段階にあって、学問の最高機関でもあるはずの大学(大学院)においても、あまりにも”穴”が多すぎると思うわけです。
そして、そのことが一般社会に悪影響を及ぼすようにも成って来ていると思われるわけなのです。


例えば、医学部のプログラムがどんなものなのかは知りませんけれど、現在の「医療」には、完全に”モラル”が欠如してしまっていると思うのです。


現在の「医療」の状況を見る限り、「医療道徳」と言えるような分野を、独立した学問として医療教育の中に設定する必要があるのはまちがいのないことなのではないでしょうか?

それどころか、「医療における道徳」は、最も基礎の段階の、そのまた最も中心的な位置に設定されるべきだと思います。

もしかしたら、そのようなジャンルが既にあるのかもしれませんが、それが、有効に機能していたら、現状の医療の姿はあり得ないのではないかと思うわけです。


昔から「医は仁術」などと言ってきたために、それが、教えなくても初めから備わっているものと言う誤った認識で、医療教育から排除(または軽視)されてきたのかなと。

これは、このブログで主に扱っている「芸術」においても同じことが言えていて、『「芸術」とは何なのか?』と言う”ど真ん中”のところが抜けてしまっているわけです。

そうして、”ちょっとしたセンスの良さ”とか”表面的なオリジナリティー”こそが「芸術」であるという漠然とした認識の下に、芸術にまつわるすべてのことが回っているわけで、芸術教育も、またそれに準じた形で行われているわけなのでしょう。


でも、このブログでも何度も書いていますけれど、人間は、教えられたことしかやらないものなのだと思います。

だから、「医師」であっても、「教師」であっても、「政治家」であっても、「芸術家」であっても、教えられないことはほとんどできないわけです。


「道徳」を教えられなければ、「道徳的」な考えで行動することは出来ませんし、「哲学」を教えられなければ、「哲学思考」を踏んだ「理念」は構築できないわけです。
「深い思考」を教えられなければ、「浅い芸術」しか生み出されないわけです。


いま、医師や教育者に成るのに「道徳」を学ばなければ成れないというようになっているでしょうか?
政治・経済を学ぶ段階で「理念」を持っていることが問われる機会がどれだけあるでしょうか?
美大に入るのに必要なのは「芸術に対する深い考察」でしょうか?

もし、そう成っていないと言うことであれば、ほとんどの者が、それらのことを”出来ない”ということだと思います。


これと同じようなことは、どの学部でも、どの分野でも、また、大学以外の教育機関でも、言えることだと思います。


要するに、これは『木を見て森を見ず』と言う状態に成っているのかなと。

最先端の研究に目を奪われて、根幹をなしている本質的な部分が抜けてしまっているのではないのかと思えるわけなのです。


現行の大学(大学院)のような学術の最高機関においては、各分野の最先端の研究も大事でしょうが、その前に、各分野の中を”整理して割り振る”という仕事が必要になってきているのだと思うのです。

これは、何も教育を前提にした話に限らず、学問の研究が高度化・複雑化したために、一つの分野の中が、細分化し過ぎていて、一貫したものとして実感できなくなってきているわけです。

一つの分野の中でも、細分化してしまった各部分を割り振って仕分けするような作業をして、系統的にその分野を体感できるようにする必要があるわけです。

系統図のようなもので、その学問の体系を一応知っているというだけでは、現在の複雑化した学問においては、ほとんど役に立たないわけですから、先端の所でやるべき研究や学習に沿った道筋が、かなり前の段階から意識されているべきだと思うわけです。


そういう道筋を踏まずに、ごく基礎的な学習から、いきなり高度な領域に入り込んでしまうために、最先端のところで、いくら”素晴らしい研究”をしていても、それが、十分に役にたたないということに成ってしまっているのではないかと思うわけです。


ましてや、その近視眼的な状態の学問をそのまま教えられても、まだ、知識や経験のない学生が正しく理解できるはずもないわけです。


だから、各分野の中を整理して、先端に行ってから必要になることを前もって教える形で、一本の道筋としてプログラムを組んで行かないと、学問自体も、それについての教育も身動きができなくなって、一歩も前に進めなくなってしまうと思うのです。


特に教育の場においては、必要がなくなったと思える部分は大胆に削り、それで空いた部分に必要性があるものを埋めていくという作業を繰り返していく必要が出てきているということだと思います。


学問の歴史は、当然、どんどん長くなる一方なわけですから、どの分野でも、はじめから全部を完全な形で習得するには、時間がかかりすぎるように成ってきているわけです。

そして、学問の歴史はこれからも伸びていくわけですから、どっち道、何時かは”学びきれなくなる時”が来るわけです。
だったら、今やっておいた方がいいのかなと。
(学びきれなかった部分は、頂点を極めた研究者などが、後から余裕をもって学べばいいように思います)


そうして、”隙間”ができたところに、いま欠けていることを収めていってほしいものだなと。


そんなことが気になってしまう、今日この頃なわけなのです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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