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現世の中の「輪廻転生」



「輪廻転生」と言う考え方があるわけです。
詳しいことは知りませんけれど、要するに「生まれ変わり」ということなのだと思っています。


そういうことが、有るのか無いのかということは、チョットわかりませんけれど、私といたしましては、人間は生きているうちに、けっこう「輪廻」を繰り返しているんじゃないのかなと思っているわけなのです。


まず、一番単純なことで言うと、「寝ている時」かなり「死んでる」と思います。
「朝起きたとき」かなり「生まれ変わってる」と思います。
「一日経つうちに」、たいてい「元に戻って」ます。

「その繰り返し」です。

かなり「輪廻転生」的だと思います。


それから、日々の生活の中で、”何かに気づく”ことがあります。
それが、とても重要なことに思える時もあれば、取るに足らないようなことにしか思えない時もあるわけです。


でも、どちらにしても”気付く”前と後では、そこに見えている世界は、厳密に言えば「違う世界」だと思うわけです。
それを、周りの世界が変わったと思うか、自分が「生まれ変わった」と思うかは、ほとんど大差のないことのように思うわけです。

これなんかも、ほぼ「輪廻転生」のように思います。


つまり、「寝て起きること」も、「何かに気づくこと」も、毎日起きていることですから、かなり「毎日が輪廻転生」なわけです。


これらに加えて、よく言われるような、「大病をしたとき」や「臨死体験をした」などの人生の大事件や、「ある人との出会い」や「運命のいたずら」みたいなドラマチックな出来事も加わってくるわけです。

つまり、「毎日の輪廻転生」と「毎月の輪廻転生」と「節目節目の輪廻転生」やなんかが、多重層に、折り重なって起きているような感じがするわけです。

だから、そこに「死んでから生まれ変わる」みたいな、本当の意味の「輪廻転生」が加わっても、あまり変わらないような気がしてしまうわけです。


と言っても、特に「生まれ変わり」を実感することがあるというわけではありません。
私が、実感できるのは「死ぬこと」までです。

これは『死んだことは無い』のに実感できるわけです。
そして、それが一番”普通”のことだと思っています。
そして、”普通”が一番いいと思っているわけです。


「死ぬこと」は「生きること」の延長にあると思っています。
そして、「死に方」のために「生き方」があると思うようになってきているわけです。

ですから、「死んだ」後に、また「生きる」があると、そこのところが、チョット違ってきてしまうわけなのです。


それだと、「死に方」のために「生き方」があるだけじゃなくて、次にまた、「生き方」のために「死に方」があったということになってしまうので、「区切り」がなくなってしまうわけです。


「生まれ変わり」が、あるのかないのかと言うよりは、自分勝手な都合で言えば、「区切り」が必要なわけですね。


人間は無際限なものを把握することや、理解することは出来ないと思うんですね。
だから、無際限なものを想定した考えは、人間が、それを把握できるようになるまで「オアズケ」にしておいた方がいいように思うわけです。

人間が無際限なものを理解できるようになれば、きっと、それは”普通”のことに成って、私のような”普通”の人間にも、容易に理解できるようになるのでしょう。

そうすれば、”不思議”なことが”当たり前”になって、”普通”に成るのでしょう。


でも、なんとなくですが、それを、いま既に解っていることにしてしまうと、ずっと解らないままになってしまうように思うのです。
少なくとも、”普通”の人にはですね。


そんなような意味でも、”不思議”は”解らない”ということにしておいた方がいいように思ってしまうわけなのです。


「解る人と解らない人が居ること」を作ってしまうと、そこに、格差が生まれるわけです。

つまり、「できる人と、できない人」と言うのと同じで、「解る人」が上で、「解らない人」は下、と言うように位置づけられてしまうわけなのです。

それを言っている人達がどう思っていても、ごく自然に、そういう位置関係に成ってしまうのだと思います。


いま、人間が居る所がその辺なのかなと。

そんな風に思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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