「適正価格」について
前の記事で、「文化」にも「適正価格」があるのではないかと書いたわけですが、これは、他の物にも言えることだと思うわけなのです。
このところ、景気が良くないせいか、商品の価格が低めに設定されている店が多いと思うのです。
私のような貧乏人にとっては、ありがたいことなわけですけれど、反面、『こんな価格で売るためには、どんなコスト削減をしているのだろうか?』と考えると、到底いい原料を使っているとも、手間のかかる製造工程を踏んでいるとも思えないわけなのです。
それでも、やっぱり同じ種類の商品の中で一番売れるのは、一番値段が安いものなわけで、それは、ほぼ鉄則と言ってもいいわけです。
つまり、結果的に消費者は品質の低い商品を買う羽目になってしまうわけです。
もちろん、高品質、高価格の商品を買えばいいわけですけれど、そちらは、たくさんは売れませんから、どうしても品質以上に割高になってしまうわけなのです。
そうなると、安いものを買った場合も、高いものを買った場合も、どちらも「適正価格」とは言えないわけです。
大多数の人が満足する品質と言うのがあると思うわけです。
そして、それを製造するのに適正なコストと言うものもあると思うのです。
更には、そこに上乗せされる利益についても「適正」があると思うわけなのです。
つまりは、そういった、
「大多数の人が買うことができて」
「大多数の人が満足できて」
「大多数の企業が製造することが出来て」
「大多数の企業が順当に運営していくことが出来る」
ような、言ってみれば、一番”マットウな”商品が、ほとんど市場から締め出されてしまっているわけです。
要するに、もう、価格競争の時代ではないと思うのです。
何かしらの”公”な機関がなるべく多くの品物について、「適正価格」を決めて、その中での品質や、コスト削減で、競争していくべきだと思うわけです。
そうすれば、値段が同じなわけですから、当然、消費者は品質のいいものしか買わなくなるわけです。
だから、コスト削減といっても、品質を落とすようなやり方をすれば、あっという間に売れなくなってしまうでしょう。
つまり、高品質なものを作った企業の製品が売れて、そこで、なおかつ品質を下げずにコストを下げられれば、その分だけは利益が増すというわけです。
もともと「自由競争」とか「自由経済」とは言ってきましたけれど、実際には、なんだってほとんどのものが、より大きな企業の独占状態だったわけで、より小さな企業が入り込めるのは、大きな企業が見落とした”チッチャイ隙間”だけだったわけで、ちっとも「自由」なんかじゃなかったと思うのです。
だったら、「不自由になってしまった自由」を規制する枠組みがあってもいいと思うのです。
その中で、生産者も消費者も双方が「???」にならない範囲で出来る「品質の競争」が展開されるようになればいいのかなと。
もともと、日本は「物づくり」には長けていたわけですから、そういう「品質の競争」が展開されるようになれば、世界に対しても、力を発揮できるんじゃないのかなと。
これは、日本だけが有利になるとかいうことでもなくて、世界経済の中で見ても、「資本主義経済」や「自由主義経済」の行き詰まりのなかで、誰も根本的な打開策を考えようとしてこなかったと言う事実があるわけです。
「自由」と言う言葉が「ご神託」のようになってしまって、それに対する解釈を、柔軟に”時代に対応した”ものに変化させることが出来なかったことで、”落とし穴”が出来上がってしまっているのだと思うわけです。
そして、そういう”落とし穴”を塞がないで、その場だけを乗り切るための経済政策ばかりを展開し続けてきたわけです。
別に、他国と比べてどうということではなく、日本の本来の特性が生かされているようには到底思えない状態が、もう、ずいぶん長く続いてしまっているように思うわけなので、そろそろ、あるべき姿に帰ってもいいんじゃないのかなと。
そして、それは世界中のあらゆる国々で同じことが言えるのじゃないかなと。
そういうことが言いたいわけなのです。
いや、違います。
本当に言いたいのは、「経済」のことなんかじゃないわけです。
ただ単に、「いいものを作ろう」という純粋な気持ちでもって、『物を作る』っていうだけのことなわけです。
そういうことが、世界中から消えていきつつあるように感じてしまうので、何とか取り戻せないのかなと。
そう思って言ってみたわけですね。
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