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「助け合うこと」は、もう「人間の習性」だと思うのです



「助け合い」とか「思いやり」とかという話になると、そういうことを、かなり強い口調で否定する人が居たりするわけです。


そういう人たちの主張で、多いのは、『そういうのは偽善だ』とか、『そんなことをしても相手のためにもならない』とか、『弱肉強食や自然淘汰と言った摂理に反している』といったものだと思うわけです。

要するに、「助け合い」や「思いやり」は”不自然な”行動で、それらをしない方が、よほど”自然な”ことだと言っているのだと思うわけです。


でも、時として、そういう人たちの行動が、とても”無理している”ように見えるときがあるわけです。
実際には、「助け合い」や「思いやり」も、もう、とっくに「人間の習性」になっているのだと思うのです。

それらは、「弱肉強食」や「自然淘汰」と対等なぐらいに、「人間の習性」として浸み付いてしまっているのだと思うわけです。

だから、それらをあまり頑なに避けようとすると、かえって無理をしているように見えてしまうのかなと。
(しかも、これは「助ける側」だけではなく、「助けられる側」の人にもよくあります)


だから、「助け合わない」とかえって”不自然に”なるような時だけでも、

「助け合って」いけたらいいんじゃないかなと。


そんな程度でも、ずいぶん”ギスギス”した感じがなくなるように思うのですが、

どんなもんなんでしょうか?



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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