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「あやまる」という文化



「あやまること」は一つの文化だと思うわけです。


よく、『日本人は自分が悪くもないのに誤ってしまう』とか、『西洋人はなかなか謝らない』などと言われたりもしますが、こういう「あやまること」に対する考え方と言うのは、その国の文化を象徴しているのだと思うのです。


そして最近、日本人でも「あやまれない人」が増えてきているように思うわけです。
要するに、これは考え方が「西洋化」してきているのだと思うのです。


このことに限らず、このところ世界中が西洋化(アメリカ化?)してきているように感じてしまうわけです。

世界が共通の概念や文化を持つようになっていくことが、いいことなのかどうかはわかりませんが、少なくとも、この流れは止まらないのでしょう。


でも、どうせなら一つの国の概念に染まってしまうよりも、いろいろな国のいいものを集めた方がいいと思うわけです。


そして、この「あやまること」に関してなどは、『あやまりすぎる』と言われる日本の文化が、私には、とても”特異な”ものであり、かつ”未来的な”ものでもあるように思えるのです。


つまり、「和」を重んじた形が、『悪くなくてもあやまる』と言う文化なのだと思うのです。

そして、世界共通の概念を構成しようとするのであれば、こういった「和」の文化が必要になってくるのだと思うわけです。


もちろん、これは「あやまられる側の人」も、「和」の心を持っていないと成り立たないわけですから、そういう意味でも、世界共通を前提にしてこそ成り立つものなわけです。


と言っても、現状においては、まだ共通の概念が形成されているわけではありませんから、「あやまる文化」は弱腰に見られてしまうわけです。

要するに、”ツケコマレル”わけですね。


でも、「迂闊にあやまると付け込まれてしまう社会」と

「悪くなくても、『ゴメンナサイ』と言うと『いえいえ、こちらこそ』などと返ってくる社会」と、どっちがいいんでしょうか?

争いの時代を終わらせるのであれば、後の方がいいんじゃないかなと。


そこらじゅうで『ゴメンナサイ』と言っているような国って、なんとなく、住み易いような気がするのですが、どんなもんなんででしょう?


と言うわけで、こんなつまらない話で

『ゴメンナサイ』



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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