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「創作者型」と「鑑賞者型」を分けて考えてもいいのでは?



「創作者型」の人と「鑑賞者型」の人というのがいるように思うのです。
そして、この二つのタイプを、もう少し分けて考えてもいいような気がするわけです。


そうは言っても、両面を併せ持った人もいるでしょうし、本人もどちらかわからない場合などもあるでしょうから、『もう少し分けて考えてもいいのかな?』と言う程度のものですが、少なくとも、一人の人間がこの二つの性質を同時に併せ持っているとは限らないという認識ぐらいは、あってもいいんじゃないでしょうか?


自分のことで言えば、子供のころ、楽器がまったくダメだったので、随分長い間「音楽」には興味が持てませんでしたが、その後、『聞く方はイケル』とわかって「音楽」が好きになったとき、とても意外でした。

「音楽」が好きに成る人は、『たぶん楽器なんかも上手い人に違いない』と思っていたんでしょうね。


もっと早く、自分が「鑑賞者型」(「音楽」に関して)だと気が付いていればよかったと思っています。

まぁ、気が付くのが遅かっただけならいいのですが、『あのままずっと気が付かずに居たら、今聞いている音楽に全く出会えていなかったんだ』と思うと(あまりポピュラーではないジャンルの音楽が好きだったので、出会えなかった確立はかなり高いと思います)、ちょっとと言うより、かなり惜しい気がしてくるわけなのです。


反面、美術に関しては、『創作をしたいのだから、見るのも好きなハズ』ということで、美術館に行くわけですけれど、どうも、それほどでもないようなのです。

こちらは全くダメと言うわけではありませんが、”ものすごく好き”と言うほどでもなく、行こうと思っていた美術展に行けなくても、『まぁ、いいか』という感じなわけです。

『芸術をやろうというなら、いいものをたくさん見なければだめだ』と言うのをよく聞くので、『やっぱり、見なきゃダメなんだろう』と思ってしまう気持ちが出て来るわけです。

もちろん、そこで感動することもありますし、そこから得られるものもあるとは思うのですけれど、でも、『見なければダメ』でもないような気がするわけです。


こういう風に「創作者型」と「鑑賞者型」が一致していないケースは、けっこうあるように思うのですけれど、なんとなく、”二つは一致しているもの”ということになってしまっていて、そのまま、”ちょっとズレた状態”で行ってしまう人は少なくないような気がしています。

そういうことで、心の糧と成るようなものを一つでも減らしてしまっているのだとしたら、やはり、惜しいなと思ってしまうわけなのです。


スポーツなんかでも「やるのが得意な人」と「見るのが好きな人」が居るわけですから(「得意なこと」と「好きなこと」もまた一致していないことがありますが)、美術や音楽に「鑑賞者」としてかかわることと、「創作者」としてかかわることも、一致しているとは限らないこだと思うわけです。


そう考えることで、興味のなかったことが好きになったりすることもあるのかなと。


そんな風に思います。



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