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「芸術による感動」の限界



「芸術による感動」について、それが”とてつもなく大きいもの”だという話になってしまうことがあるわけですけれど、実は、そこには案外低い位置に「限界」があるように思うのです。


確かに、「芸術」が生み出す「感動」は、何物にも代えがたいものなわけです。

でも、『背に腹は代えられない』と言う言葉があるように、それはあくまで、最低限の「安全」や「健康」や「物質的な充足」が満たされていての話だと思うのです。


もちろん、どんな状況においても「芸術」は”人の心を癒す”のでしょうが、それでもやっぱり、飢餓状態の人に、「絵に描いた餅」を有り難いと思えと言っても通じないわけです。

「芸術」は”心の糧”となるものだと思いますし、それが生涯を通じて続くこともあるでしょうが、「芸術」が人に与えることが出来る「感動」は、常に、「食べること」や「生存すること」などよりも下に位置していると思うわけです。


更に言えば、「芸術」は、そういう「限界」を超えようとしてはいけないようにも思うのです。

つまり、「芸術」が「食べること」や「生存すること」を凌駕してしまうようでは、当の「芸術」の居場所もなくなってしまうのだと思うわけです。


もともと、「芸術による感動」は「個人の表現」の「普遍性」から生まれていると思うのです。
つまり、”たった一人の人の”「思うこと」が、”すべての(多くの)人の”「思うこと」であった時の「感動」だと思うわけです。

だから、そういう”ありきたりな面”を見失ってはいけないような気がするのです。


そして、そういう”ありきたりな”「芸術による感動」に、どれほどの力を注ぎ込むことが出来るかということで、どうにか”ありきたりな”「感動」が生み出されているのだと思うのです。


それで、そこに注がれた労力のことを思って、「芸術による感動」を、”とてつもないもの”のように扱うことに成ってしまうわけですね。

でも、実際には、「労多くして、功少なし」というのが「芸術」のあるべき姿のような気がします。


まぁ、そういう効率の悪い分野があってもいいんじゃないかと、そんな風に思ってやっている方がいいのかも知れないですね。

それに、そういう考え方だと、エラクもないのにエラク成るなんてこともないんじゃないのかなと。


そんな風に思っています。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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