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「感動の仕組み」



芸術の意義の一つに、「感動」を挙げる人は多いと言えるでしょう。

その「感動」とは、どのような心の流れで生まれてくるものなのでしょうか?


まず、「感動」をどう定義するかですけれど、ただ単に「心を動かされる」ことを「感動」と言うわけでもないのだろうと思うのです。

「びっくりした」とか「面白いよね」とか「気に成る」とか言うものは、心を動かされてはいても、「感動」までは届いていないでしょう。
じゃあ、「凄く、びっくりした」とか「凄く、気になる」だったらどうかと言うと、これもちょっと違うかなと。

そうなると、『「感動」は「感動」ですよ』と開き直るしかないわけですけれど、そこで敢えて、「感動の仕組み」を探してみるわけです。


私の勝手な考えですが、「感動」とは、心の動きに「相乗効果」が発生した時のことだと思うのです。

何かに心を動かされて、それがそれだけに留まらず、「喜怒哀楽」のどれか一つでもなく、あらゆる感情が総動員されて、さらに、それらが「相乗的な効果」を生み出したときに、「感動」と言う「心の状態」が発生するのだと思っております。

言ってみれば、「ターボ・エンジン」みたいなものですか?


ここで、主に自分自身のことですけれど、この「相乗効果」が「空回り」する時がよくあるわけです。


芸術作品を鑑賞するときの自分の心の状態などによって、その作品から受け取ったものとは違うところで、「相乗効果」が「空回り」してしまったりするわけです。

これも一種の「感動」だと言えなくもないとは思うのですが、その作品に「感動」したとは言えないでしょうし、後でもう一度見ると「あれ、こんなんだったっけ?」ということもあるので、勝手に「モリアガッテ」、勝手に「ガッカリ」するのも失礼な話なので、なんとかしようと思うのですが、なかなかできません。

だから、「感動」をコントロールできたらいいなと思ってしまうわけですが、『それじゃあ、「感動」とは言わないだろう!』とも思うので、たぶん、できないのでしょう。


意図されたところに「感動」は無いのかも知れませんね。


「感動の仕組み」を探してはみたけれど、結局のところ、それはあまり役には立たないということがわかりました。
それはそれでよかったと言う気もします。

「感動の仕組み」を”仕組んではいけない”


そんな気もします。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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