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「ポピュラー性」について



「ポピュラー性」と言うのは、人に支持される性質なわけですが、その「ポピュラー性」とは、いったいどこから来るのか?と思ったわけです。


たぶん、それは「ワカリヤスサ」だと思うのです。
そのジャンルに特別な興味がある人にも、無い人にも”ワカリヤスイ”ことこそ、”人気の素”つまり「ポピュラー性」だと思うのです。


例えば「音楽」で言うと、ちょっと、ヒネリの利いた、それでいて”ワカリヤスイ”「歌詞」の曲は、ヒットする可能性が高いように思います。

もちろん、「楽曲」でも大事なのは「ワカリヤスサ」だと思うのです。
いわゆる”ヒット曲”はほとんどと言っていいほど、ノリがいいリズムや、覚えやすいメロディ・ラインを持っています。

つまり、それだけ「ワカリヤスサ」が”人気の素”になっているということのように思うのです。


これは、美術にも当てはまっていることのように思われます。
つまり、”ワカリヤスイ”作品は人気も出やすいということです。

この「ワカリヤスサ」は「普遍性」にも通じていると思うのです。
つまり、「誰にでも理解できること」は「普遍的に通じること」でもあると思います。


だから、「ポピュラー性」や「ワカリヤスイこと」は、いいものだと思っています。
少なくとも、悪いものだとは思いません。


ただし、「ポピュラー性」には時間的な意味での「普遍性」が含まれていないわけです。

今見ても、十年後に見ても、百年後に見ても、また逆に百年前の時代に見ても、「イイ!と言えるのか?」という観点は、「ポピュラー性」には含まれていないと言ってもいいでしょう。

だから、「ポピュラー性」=「ワカリヤスサ」だけを追究していってしまうと、「一発屋」的な”軽さ”が付いてきてしまうように思うわけです。

芸能人なら「一発屋」も”アリ”だと思うのですけれど、それは、芸能人が「人気商売」だからだと思うのです。


でも、「芸術」だとどうなんでしょうか?

そこに興味を持つ人はいるでしょうが、私にはそれが「芸術の中心」から遠いもののように思われてしまうわけなのです。

だから、「ポピュラー性」=「ワカリヤスサ」を取り入れていくことで、「普遍性」を得られることはあるけれど、それに囚われてしまってはいけないのだと思うわけです。


つまり、”今、ワカリヤスイ”だけでなく、”今は、ワカリニクイ”けれど、”いつか、ワカリヤスク成る”ということも含めて、「ワカリヤスサ」と、「ワカリニクサ」の幅がある作品が、結果的に「普遍性」のある作品なのかなと。


そんなことを思いました。



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