FC2ブログ

「ポピュラー性」について



「ポピュラー性」と言うのは、人に支持される性質なわけですが、その「ポピュラー性」とは、いったいどこから来るのか?と思ったわけです。


たぶん、それは「ワカリヤスサ」だと思うのです。
そのジャンルに特別な興味がある人にも、無い人にも”ワカリヤスイ”ことこそ、”人気の素”つまり「ポピュラー性」だと思うのです。


例えば「音楽」で言うと、ちょっと、ヒネリの利いた、それでいて”ワカリヤスイ”「歌詞」の曲は、ヒットする可能性が高いように思います。

もちろん、「楽曲」でも大事なのは「ワカリヤスサ」だと思うのです。
いわゆる”ヒット曲”はほとんどと言っていいほど、ノリがいいリズムや、覚えやすいメロディ・ラインを持っています。

つまり、それだけ「ワカリヤスサ」が”人気の素”になっているということのように思うのです。


これは、美術にも当てはまっていることのように思われます。
つまり、”ワカリヤスイ”作品は人気も出やすいということです。

この「ワカリヤスサ」は「普遍性」にも通じていると思うのです。
つまり、「誰にでも理解できること」は「普遍的に通じること」でもあると思います。


だから、「ポピュラー性」や「ワカリヤスイこと」は、いいものだと思っています。
少なくとも、悪いものだとは思いません。


ただし、「ポピュラー性」には時間的な意味での「普遍性」が含まれていないわけです。

今見ても、十年後に見ても、百年後に見ても、また逆に百年前の時代に見ても、「イイ!と言えるのか?」という観点は、「ポピュラー性」には含まれていないと言ってもいいでしょう。

だから、「ポピュラー性」=「ワカリヤスサ」だけを追究していってしまうと、「一発屋」的な”軽さ”が付いてきてしまうように思うわけです。

芸能人なら「一発屋」も”アリ”だと思うのですけれど、それは、芸能人が「人気商売」だからだと思うのです。


でも、「芸術」だとどうなんでしょうか?

そこに興味を持つ人はいるでしょうが、私にはそれが「芸術の中心」から遠いもののように思われてしまうわけなのです。

だから、「ポピュラー性」=「ワカリヤスサ」を取り入れていくことで、「普遍性」を得られることはあるけれど、それに囚われてしまってはいけないのだと思うわけです。


つまり、”今、ワカリヤスイ”だけでなく、”今は、ワカリニクイ”けれど、”いつか、ワカリヤスク成る”ということも含めて、「ワカリヤスサ」と、「ワカリニクサ」の幅がある作品が、結果的に「普遍性」のある作品なのかなと。


そんなことを思いました。



関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR