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「情報」は与えられるものだと思うのです



最近、「情報弱者(情弱)」と言う言葉をよく耳にするわけです。

でも、この言葉には”言葉の仕掛け”を感じてしまうことがあるのです。


「情報」とは、本来は”与えられるもの”だと思うのです。
ここのところが、この言葉によって、いつの間にか歪められてしまっていると思うのです。

この「情報弱者」という言葉には、「取り残されてしまった者」と言う意味と同時に、そこにある「情報」を積極的に取り込まない”情報ナマケモノ”的なイメージも感じられてしまうわけなのです。

つまり、「与える側の責任」が「受け取る側の責任」にすり替わってしまっているように思うわけです。


ここで、「情報」が『与えられるべきものなのか?』ということになるわけです。

現代の社会における「情報」について考えると、「情報」はいくらでも溢れていて、誰にでも手の届くところにあるように思えるわけですよね。
だから、「情報弱者」と言われている人たちが、敢えて「情報」を遠ざけていたり、それを取り込む、最低限の努力をも怠っているという風に見えてしまうわけです。

それは、つまり、「教育」に例えて言うならば、十分に教育機会を与えられているのに、”敢えて勉強しない人”と言うような感じでしょう。

これは、自己責任と言えるのかもしれません。


でも、もし仮に、現在は当たり前になっているような「義務教育」が、必ずしも”与えられるべきものではない”ということに成ったら、それは、もう自己責任とは言えないでしょう。

だから、「義務教育」と言う形で、「教育」を受ける権利が保障されているのだと思うわけです。
これは、「個人」ではなく「政治」や「社会」の責任でしょう。


それと同じように、「情報」も必要十分に与えられるべきものなのだと思うのです。

もし、一般人の「情報を与えられる権利」が奪われてしまえば、権力者が「情報」を隠ぺいしたり歪めたりする正当な権利を得ることになってしまい、一般庶民は正しい「情報」を得る機会を失ってしまうことにも成りかねないということです。
(と言うか、そう成っていると言えなくはない?)


そこで、「一般人にとって必要十分な「情報」が『与えられているのか?』ということですが、現在は、この「情報」の与えられ方に、かなりの”ムラ”があるわけです。

間違いなく、「情報」は溢れています。

ただ、その「情報」がインターネット上に偏っているわけです。


そもそも、「情報弱者」と言っていますけれど、「インターネットの世界だけで通用するような情報」についての知識が無いだけでも、「情弱」扱いにされてしまうわけで、それは、その人たちの”不勉強”や”無知”を責めるよりも、そのインターネットを普及させている側の人たちの責任を問うべきだと思うわけです。

それなのに、そちら側の人たちが、「情報弱者」と言う言葉に乗っかって、自分たちの責任を回避しているという感じがするわけです。
(どちらかと言えば、そちら側の人たちが「情弱」と言う言葉を流通させているとも言えますよね)


「情報」は必要十分に与えられるべきものであるという前提で言えば、現在の「情弱」は、情報を与えている側の不備によって生み出されているのだと思うのです。


それから、話は違いますけれど、『「情弱」な人の方が、どちらかと言えば「人情」には厚い』と言う印象があるというのも、何かを象徴しているのかなと。

少なくとも、自分が「情報」に先んじていることで、「情報」を持たない者に優しくできない人なんていうのは、「情報」では「強者」であっても、「人”情”」では「”弱”者」なわけです。


だから、『あんたたちだって、十分「情弱」なんだよ!』と言いたくなってしまうわけなのです。

同じ「情」でも、「情報」よりも「人情」でしょ?


そんなことだと思います。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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