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「芸術」に新しさは必要なのか?



『「芸術」をやるなら新しいことをやらないと意味がない』とか、『「芸術」で、人がやったのと同じことをやっていてもダメだ』などと言われることがとても多いわけです。


そこで、その「新しさ」とはいったい何なのでしょうか?
また、その「新しさ」は本当に必要不可欠なものなのでしょうか?


まず、「新しさ」は本当に必要なのか?ということですけれど、これは、とても簡単なことだと思うわけです。

「芸術の目的」については、人によって意見が分かれるところだと思いますけれど、いずれにしても、その人が「芸術の目的」を「新しさ」であると考えるのであれば、「新しさ」は、当然のこととして必要不可欠なものに成るわけです。

また、その逆に、その人が「芸術の目的」を「新しさ」以外の物であると考えるのであれば、これも当然のことですが、「新しさ」は必要不可欠ではなくなるわけなのです。


まったくもって当たり前のことなのですが、「新しさ」が目的ならば必要で、そうでなければ絶対的な必要性は無いということです。


この当たり前なことが」、わかりにくくなっているのは、「新しさ」をほかのことに転換してしまうからだと思うわけです。

例えば、「新しい」ことによって「驚き」があり、その「驚き」が「感動」につながる。
と言った感じで転換することで、「新しさ」・「驚き」・「感動」の三つのうちどれか一つを目的とする人は、
皆「新しさ」を必要としているように考えてしまうわけです。


「新しさ」自体が目的であるという人は、初めから必要なのが解っているので問題ないでしょう。
でも、「驚き」や「感動」を目的とする人は

「新しさ」以外のもので「驚き」や「感動」を表現しても、何の差支えもないはずで、つまりは、「新しさ」は必要不可欠ではないわけです。
その場合、「新しさ」は、ある程度有効な「手段」であるということに成るわけです。

それぞれの「芸術」の目標が、どこにあるにせよ、そこに近づくのに「新しさ」が有効だと思うなら使えばいいし、要らないなら使わなければいい。
それだけのことなわけです。

ただの「手段」ですから。


そんな風に考えることで、また「新しさ」の有効性も見えてきたりもするかなと思うわけです。
「手段」ですから、使えるのならば迷わず(迷ってもいいけど)使えばいいのだと思うわけです。

このことは、「新しさ」以外のことでもほとんどのことに当てはまるのだと思っています。

どんなことが目的であるにせよ、それが「目的」であるならば必要不可欠であり、「目的」でないならば必要不可欠ではない、「目的」でない場合は、「手段」として使えるときには使うし、使いたくない時には使わない。


だいたいのことに当てはまると思います。


そこで今度は、「新しさ」とは何なのか?ということですが、長くなってしまうので、次の記事に続けます。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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