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「向いていること」に「向いてないひと」



人には、「向き・不向き」と言うのがあると思うわけですけれど、実は、その「向いていること」に「向いてない人」と言うのも結構いたりするのかなと思うのです。

つまり、「向いていること」と「やりたいこと」が一致しないケースですね。


この二つが一致している人は幸せだと思うのです。
でも、そういうケースは意外と少ないのかも知れないなと思ったりもするわけです。


人間と言う生き物は、人から褒められたり、人より自分の方が上手くできたりすると、それが得意だと意識するようになって、それを好きになることが多いわけです。

そして、そのまま、それをやって行きたいと思った人は、「向いていること」に、そのまま「向いているひと」なわけです。

でも、人から褒められたり、人と比べて上手くできたりと言うことで、いい気分になる時期を過ぎて、ふと、『自分はこれが本当にやりたいのか?』と考えたときに、『これがやりたかったんじゃなくて、人から褒められたから気分がよかっただけだったんだ』と思った人は、「向いていること」に「向いてないひと」ということになるわけです。

そして、『じゃあ、本当にやりたいのは何なのか?』と考えて、たどり着くところが、「向いていること」(得意なこと)とも限らないわけです。


もちろん、敢えて「苦手なこと」をやる必要はないでしょうが、「やりたいこと」の方を優先した方がいいのでしょう。

「向いていること」を得意だというだけでやっていると、人から褒められることは多いでしょうが、そういう「人から受けること」を抜きに考えると、あまり心に残るものはないように思います。


だったら、「向いていること」に「向いてないひと」が、もっとたくさん居てもいいんじゃないかなと。

その人は「向いているひと」に敵わない部分が出て来ると思いますが、それでも、その人のやることは「向いているひと」にはできないことなのだと思います。

たぶん、そういう人が居る事にも、何かの意味があるのでしょう。
その意味は、世間一般にはわかりにくいかも知れないけれど、本人と、身近な人には良くわかることなのだろうなと。


そんな風に思います。
(『あぁ、自分か?』)




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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