FC2ブログ

「曖昧さ」という機能



随分前からですけれど、「ファジー」と言う言葉があるわけです。


「曖昧な」ということなのでしょうか?

言葉の意味はよく知りませんけれど、なんとなく、本来は「曖昧」ではない”ハズ”のことにおいての「曖昧さ」を指して「ファジー」と言っているように思うわけです。


要するに、コンピューターのような、「曖昧さが無いこと」が”ウリ”でもあり、その反面「融通が利かない」という感じがあったものに、
敢えて「曖昧さ」を取り入れて、人間との馴染みを良くしようとしたということだと思うわけです。


そして、これもなんとなくですが、コンピューターが「ファジー」に成りだしてから、もともと「曖昧」であった”ハズ”の人間が「ファジー」じゃなくなってきているように感じるのです。

どちらかと言うと、実際に人間が「ファジー」じゃなくなったというよりも、「ファジーじゃない人間」が求められているということでしょうね。

要するに、「カチッ」とした人間が求められているような、そんな感じがするわけです。
「間違える人」や「揺れ動く心理」を、一段低いものとして扱う傾向があるように思うわけですね。


私は、「迷うこと」が究極の「思考」でもあり、最良の「人間性」でもあると思っていますので、「迷わない人」を高く評価しようとは思えないのです。

「迷わないこと」は、一つの「能力」ではあると思いますけれど、機械に置き換えることが出来る「能力」でもあるわけです。


人工知能がここまで発達してきたわけですから、そういうのはそちらに任せて、人間は、もっと「迷う」方向に向かっていいんじゃないかと思うわけです。


そして、そういう「迷い」からこそ、本当の「個性」も見えてくるように思っています。

この「曖昧さ」と言う機能こそが、人間の可能性を広げるものだと思っているわけです。


「迷い」と言う状態はパソコンにとっては「バグ」や「フリーズ」に当たるものだと思うのです。
つまり、「曖昧」な機能は「バグ」を起こしやすいでしょうし、「迷え」ば「フリーズ」してしまいます。

要するに、コンピューターは、複雑な「曖昧さ」である「迷い」を処理できないわけです。


人間は「迷っても」完全に機能停止したりはしません。
つまり、人間は「迷い」続けられるわけです。


たぶん、今の原理に基づいたコンピューター・システムがいくら進化しても、「迷い」続けることが出来るようには成らないような気がします。


さらに、人間は、その「迷い」から、極めて強引に、そして時には適当に、とても「個性的な結論」を導き出すことがあるわけです。

そういう時に現れて来るのが本当の「人間の個人性」なのだと思っています。


だから、コンピューターは「ファジー」じゃなくてもいいから、人間においてこそ「曖昧さ」と言う機能を大切にしていった方がいいんじゃないかなと。


そんな風に思っているわけです。




関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR