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「曖昧さ」という機能



随分前からですけれど、「ファジー」と言う言葉があるわけです。


「曖昧な」ということなのでしょうか?

言葉の意味はよく知りませんけれど、なんとなく、本来は「曖昧」ではない”ハズ”のことにおいての「曖昧さ」を指して「ファジー」と言っているように思うわけです。


要するに、コンピューターのような、「曖昧さが無いこと」が”ウリ”でもあり、その反面「融通が利かない」という感じがあったものに、
敢えて「曖昧さ」を取り入れて、人間との馴染みを良くしようとしたということだと思うわけです。


そして、これもなんとなくですが、コンピューターが「ファジー」に成りだしてから、もともと「曖昧」であった”ハズ”の人間が「ファジー」じゃなくなってきているように感じるのです。

どちらかと言うと、実際に人間が「ファジー」じゃなくなったというよりも、「ファジーじゃない人間」が求められているということでしょうね。

要するに、「カチッ」とした人間が求められているような、そんな感じがするわけです。
「間違える人」や「揺れ動く心理」を、一段低いものとして扱う傾向があるように思うわけですね。


私は、「迷うこと」が究極の「思考」でもあり、最良の「人間性」でもあると思っていますので、「迷わない人」を高く評価しようとは思えないのです。

「迷わないこと」は、一つの「能力」ではあると思いますけれど、機械に置き換えることが出来る「能力」でもあるわけです。


人工知能がここまで発達してきたわけですから、そういうのはそちらに任せて、人間は、もっと「迷う」方向に向かっていいんじゃないかと思うわけです。


そして、そういう「迷い」からこそ、本当の「個性」も見えてくるように思っています。

この「曖昧さ」と言う機能こそが、人間の可能性を広げるものだと思っているわけです。


「迷い」と言う状態はパソコンにとっては「バグ」や「フリーズ」に当たるものだと思うのです。
つまり、「曖昧」な機能は「バグ」を起こしやすいでしょうし、「迷え」ば「フリーズ」してしまいます。

要するに、コンピューターは、複雑な「曖昧さ」である「迷い」を処理できないわけです。


人間は「迷っても」完全に機能停止したりはしません。
つまり、人間は「迷い」続けられるわけです。


たぶん、今の原理に基づいたコンピューター・システムがいくら進化しても、「迷い」続けることが出来るようには成らないような気がします。


さらに、人間は、その「迷い」から、極めて強引に、そして時には適当に、とても「個性的な結論」を導き出すことがあるわけです。

そういう時に現れて来るのが本当の「人間の個人性」なのだと思っています。


だから、コンピューターは「ファジー」じゃなくてもいいから、人間においてこそ「曖昧さ」と言う機能を大切にしていった方がいいんじゃないかなと。


そんな風に思っているわけです。




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