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「現実」と「真実」の関係



私は「真実」と言う言葉を、わりとよく使うのですけれど、「真実」と言う言葉は、人によって随分違う意味で使われていることもあるように思うわけです。


「本当のこと」を「真実」とする考え方もあるでしょうし、「現に起きていること」を「真実」とする考え方もあるのでしょう。
それから、「哲学的な真理」を「真実」だと考える人もいるのだと思います。


さて、私が考える「真実」は、「本当のこと」や「現に起きていること」とはだいぶ違います。

それらは、私の中では「現実」に成ります。
そして、「現実」に隠されているところに「真実」があるという考え方を持っているわけです。


でも、だからと言って「現実」が「真実」でないというわけではなくて、「現実」も「現実」と言う「一つの真実」ではあるわけです。


例えば、「本当のこと」でないことは「嘘」(虚構)ということに成りますが、それも「嘘」と言う「真実」ではあるわけです。

それと同じように「現に起きていること」でないことも、そういうことが「真実」であると考えることもできるわけなのです。


『それじゃ、なんでも真実じゃないか』ということになってしまうわけですが、そう言うわけでもなくて、「嘘」は「嘘」と言う意味では「真実」ですが、「本当」と言う意味では「真実」ではありません。

当たり前ですけど、そういうことです。


要するに、私は、「真実」を”相対的なもの”と考えるわけです。


「哲学的真理」を「絶対的な真理」と捉えるのであれば、それとも一致しないのかもしれません。
(私は、こちらも相対的なものと考えてしまうわけですが)


つまり、「一つの視点」につき、各々「一つづつの真実」があるということに成ります。


「真実」とは、「そこにあるもの」ではなくて、「そこに見出されるもの」だと思っています。
そして、その時に「真実」を隠してしまうのが「現実」ということです。


「現実」には”実質的な力”がありますから、それを無視することは出来ないわけです。
そこで、「真実」が見えにくくなってしまうわけです。


そして、先ほど述べた様な「~と言う意味での真実」というのをすべて取り除いたあとに残るのが、「その人にとっての真実」だと思っています。


要するに、私はその「その人にとっての真実」を「真実」と呼んでいるということです。
どちらかと言うと、「~呼びたい」に近いかもしれませんけどね。


ここで、全ての人は「真実」を体現しているとも言えるわけです。

例えば、「嘘」をつくことは出来ますが、それは「嘘と言う、真実」を体現してしまってもいるわけです。
ただ、本人がそれを見つけ出していないということなのでしょう。

だから、「その人にとっての真実」には成っていないわけです。


もし、自分が「嘘」をついているという「真実」と同時に、それを自分が体現してしまっている、即ち『嘘つきです」』と告白してしまっていることを、見つけ出してしまったら、きっと、ほとんどの人が止めると思います。


でも、そこで『嘘にまんまと騙される人も居る』と言う「現実」が「真実」を隠してしまうわけです。
それで、すぐそこにある「真実」が見えなくなってしまうわけなのです。

だから、「嘘」をつくことをやめない人もいるわけですよね。


それから、これは私の感じ方なのですが、『自分のありのままの姿を受け入れる』と言うのとも少し違います。
『受け入れる』ではなくて、『見出す』と言う感覚でとらえています。

つまり、”受け身”ではなくて、自己の”働きかけ”によるものということです。


これは「芸術」や「創作」と結び付けて考えるからかもしれませんけれど、”受け身”で捉えることが出来るのは「~と言う意味での真実」までなのではないかと思うわけです。


以上のことを持ちまして、

『「真実」を見出していこう!』と思っているわけです。


ところが、すぐそこにあるはずの、そして自分が勝手に決めることができるはずの「自分にとっての真実」が、そう簡単には見出せません。


まったく、人間の目と言うのはどこまでクモっているのでしょうか?
『ほら、そこにあるじゃないか!目を開けて見ればいいだけなんだよ!!』


まったくもって、そんな風に思ってしまうわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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