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「芸術の再生」



「芸術」と言うジャンルは、現在、行き詰っていると思うわけです。
そして、それは「再生」されるべき時が来ていると思っているわけです。


こういうテーマについて、私のような権威のない人間が、何か言っても意味がないと考える人も居るかもしれませんが、私としては、言わないよりは言った方がマシだろうと思っているわけです。


「芸術の行き詰まり」については、人によって意見が分かれるところかと思われます。

ただ「現在の芸術」には、素直な気持ちだけで「スンナリと見通すことが出来ないような領域」があるということぐらいは言えるんじゃないかなと思うわけです。


人によって意見が分かれているのは、その「スンナリと見通すことが出来ないような領域」を、受け入れるかどうかと言うところだと思うのです。

つまり、そういう「スンナリと見通すことが出来ないような領域」について、それが”あった方がオモシロイ”と思う人と、そんなものは”無い方がイイ”と思う人が居るということなのではないのかなと。

でも、ここで私が言っている”行き詰り”とは、どちらが”よりイイか”でも、どちらが”よりオモシロイか”でもなくて、その「スンナリと見通すことが出来ないような領域」が”あるということそのもの”なわけです。


現在、「芸術」は一元的な方向性を捨てたことで、より自由で、無際限な方向性を与えられたといっていいと思うのですけれど、あまりに、一足飛びに「自由」や「無際限」が与えられてしまったために、現実の「創作者」や「鑑賞者」が付いて来れていないのだと思うわけです。

それどころか、実際には「芸術」の「創作者」や「鑑賞者」が、その「芸術」に置いて行かれて、どんどん「芸術」からの距離が離れて行っていると思います。
それで、「スンナリと見通すことが出来ないような領域」が生まれてしまっているのだと思うわけです。

ここで問題なのは、「創作者」自体が置いて行かれてしまっているという所だと思っています。

常に、「芸術」は加速しながら先へ先へと変化していますし、何らかの形で、その「変化」を捉えていないと「現在形の芸術」と看做されませんから、どうしても、「創作者」は現実に自分が居る位置よりも”先の位置”を読んで、つまり”ヤマを掛けて”創作するように成るわけです。

そのことが高じて、どんどん先へ先へと展開せざるを得なくなって、結果的に、自分自身が置いて行かれてしまうという理屈に合わないことが起きてしまっているというわけです。


私は、現在この状況から完全に逃れられている「創作者」と言うのは居ないと思っています。
結果的に、一番大変なのも「創作者」だと思います。

常に「新しい」を要求されますから、”ヤマを掛ける”しかなくなりますし、そうすれば、「本来の自分」と「自分の作品」が離れていくわけです。


「創作者」が、そういう状況なのだとすれば、「鑑賞者」としては、「芸術」を理解することは不可能でしょう。
と言うより、「芸術」を理解するという部分に関わる権利は与えられていないということに成ります。

つまり、「オモシロイ」か「オモシロクナイ」か、「スキ」か「キライ」かと言う短絡的な部分でしか「芸術」に関わることが出来ないということです。

そして、現にそう成っていると思うわけです。

※この点について、『芸術と言うモノは「好き・嫌い」しかないんだよ!』とか、
  『それ以外の基準なんて必要ない!』と言われることが非常に多いわけ
  ですが、この考え方は時代遅れだと思います。
  (こういうことを言う人に限って、芸術に上下を付けていたりしますしね)
  時代遅れと言うよりも、むしろ、そういう考え方自体には、はじめから無
  理があったと言わざるを得ないですね。
  そういう考え方は、基準を設定できなく成ったことに対する不安から逃れ
  るために捏造された「言い訳」のようなもので、「自己弁護」以外に何の根
  拠もないと思います。

これは、「鑑賞者」を責めるべきではなくて、「芸術」の置かれている位置がそういう所なのだということでしょう。

もちろん、そういう見方が悪いというわけではありませんが、”理解する”というかかわり方も、あるに越したことは無いと思いますし、その”理解する”の部分が、「芸術」を育てていくことにもなるように思われるのです。


以上のことから、「芸術の再生」が必要になっていると思うわけなのです。


つまり、「スンナリと見通すことが出来ないような領域」を、「スンナリと見通すことが”出来る”ように」するということです。
それ以前に、「なぜスンナリと見通すことが出来ないのか?」を考えるということでしょう。


その「なぜ?」に対して、いつも現れて来るのが「20世紀の芸術」だと思うわけです。

私の場合は、これに対峙してコンガラカッタ糸をすべて解きほぐすのは到底無理だと思ったので、「芸術の20世紀」を喪失してしまうことにしたわけですが、もし、それができる人が居るのであれば、そういう人がコンガラカッタ糸を解きほぐして、クリアに、そして「スンナリと見通せるように」なれば、それが理想だと思っています。


今でもまだ、「芸術」に「エンターテイメント」以外の何かを求めている人が居るのであれば、「芸術の再生」には意味があるのだと思います。


そうでないならば、「芸術の再生」は求められていないのかも知れません。
でも、求められていなくても「芸術の再生」は必要だと思っています。
人間には、まだ「芸術」が必要だと思うのです。


いま、「芸術」を失うと全てが間違った方向に行くような気がします。
だから、やっぱり「芸術の再生」は必要なのかなと。


そんなことを考えています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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