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「芸術が愛されること」と「芸術が理解されること」



『世の中の人が、皆「芸術」を愛するようになれば、きっと平和な世界になるだろう』という話を聞くことがあるわけです。


でも、私は「芸術」にしても、「哲学」なんかにしても、”愛された”だけでは、そういう風にはならないような気がするのです。


実際、悪人だって「芸術」を”愛する”人もいれば、そうでない人もいますし、逆に、いい人だからって「芸術」を、こよなく”愛している”とは限らないわけです。

これは単なる「好み」の問題になるわけです。


私は、「芸術」や「哲学」が世の中に影響を与えるのは、”愛された時”ではなく、”理解された時”なのだと思うわけなのです。

 ※とは言っても、「愛」が「理解」を前提にしたものだという考え方もある
  でしょうから、その場合は、「理解」もされて、さらに「愛」されてもいると
  いうことになるので、十二分なのでしょう。
  ただ、「理解」されていれば、「愛」されていなくても、それで十分だとい
  うことですね。

そして、それは、一般的にいう所の「愛」が「個」へ向けられる性質があるのに対して、「理解」は「全般(普遍)」へ向けられる性質があるからだと思うわけです。

つまり、「愛」は一つのものへ、そして一つの物の中のさらに一つの部分へと、一点に集約されていく傾向がありますけれど、「理解」は一つの点から理解し始めて、「全般」を把握できた時に、初めて「理解」に到達するわけです。

だから、「愛」だけでは「個」に影響を与えることはあっても、「繋がりを持った世界」には影響を与えることはないように思うのです。


この話は、人間同士の「愛情」にも置き換えることができると思います。


誰かを”愛して”いても、「いさかい」は起きますし、”愛して”いることは、その「いさかい」を鎮めてくれるとも限りません。
むしろ”愛して”いることによって、その「愛情」が「憎しみ」に反転してしまうことも多いわけです。

でも、その人のことを”理解して”いる場合は、やはり「いさかい」は起きるのでしょうが、その「いさかい」は大方の場合、早々に鎮まってしまうでしょう。

ほとんどの人が「いいところ」も「悪いところ」も持っているわけですから、その人のことを理解していれば、もし、「悪いところ」と争いになっても、「いいところ」の部分も見えて来てしまいますから、それ以上に「憎むこと」ができないのだと思います。


ここで、話を「芸術」の話に戻すと、「芸術」は「美しさ」や「真実」といったものを求めるものですから(そのほかの定義でも、この話に大差はないと思います)、『それを”愛する”人同士が争うはずがない』ようにも思えるのですけれど、やっぱり、人間同士の「愛情」と同じで、求めている「美しさ」や「真実」自体に食い違いがあれば、「いさかい」は起きるわけです。

そして、やはり”愛している”ことでは、その「いさかい」を鎮めることはできないわけです。
というよりむしろ、「自分の美しさ」や「自分の真実」を愛すれば愛するほど、「違う美しさ」や「違う真実」を”憎む”ように成ってしまうわけです。

でも、「芸術」を十分に理解していれば、「その美しさ」と「この美しさ」が両方とも「美しさ」であることがわかってしまいますから、”違う”と思うことがあっても、”憎む”ことにまではならないと思うのです。

そして、「芸術」をどのぐらい理解していればそう成るのかといえば、多分、”理解しようとする”だけで十分なのだと思います。


以上のことから、『世の中の人が、皆「芸術」を”理解しようとする”ようになれば、きっと平和な世界になるだろう』
という風に思っているわけなのです。


ところで、【「愛しているもの」を”理解しようと”しないこと】、また、【「理解したもの」を”愛さずに”いられること】、そういうことが、”理解できない”なと。


そういう風にも思ってしまうわけなのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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