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「逆差別」≠「差別」



このブログでも何度か書いていますけれど、私は「差別」と言うものがとても嫌いなので、これについてはよく考えるわけです。


「差別」に対抗して「差別し返すこと」、つまり、「逆差別」は「差別」と同じだと言う考え方があると思います。
その考え方には確かに一理あると思うわけです。


「逆差別」をしてしまえば、そこからまた「逆・逆差別」が生まれるという連鎖になってしまうので、それは、避けられるならば避けた方がいいのでしょう。

ただ、その「差別」に、あまりにも圧倒的な上下関係があって、あまりにも理不尽な歴史がある場合は、それが当てはまらないと思っているわけです。


そういう場合でも、「逆差別」が新たなる「差別」を生んでしまうのは同じでしょうし、それが必ずしも解決に成るともいえないわけですが、それでも、圧倒的な「差別」を受けた側の人たちが、それをそのまま帳消しにしても、必ず遺恨が残ってしまうわけでしょうから、どっちにしても、解決にならないことに変わりはないわけです。


だったら、一回だけ、「差別」した側が「逆差別」を我慢するしかないんじゃないかと思うわけです。

そこで、少しでも対等に近くなった時点で、初めて、『「差別」の応酬はやめよう』ということに成るんじゃないかと思うわけです。
そうやって、少しづつ格差を埋めていくしかないように思うわけなのです。


例えば、リンカーンは奴隷を解放しましたが、彼らにアフリカに帰る権利や資金を保証したわけではないわけです。
(当然、アメリカに残る権利も与えられての話ですね)

対等と言う前提であれば、当然そう言う話に成るでしょう。
と言うよりも、それぐらいで済まされるとは思えないでしょうね。


そんな中で、「差別」された側の黒人に、その後も「差別」を受け続けながら(実際には、「黒人差別」は奴隷解放後に悲惨なものに成っていったと言う事実もあります)、全部帳消しにしろと言うのは無理があるように思うわけです。

そこには依然として、『奴隷解放してやったんだから、もういいだろう』と言う上下関係があるわけです。


つまり、リンカーンは形式的な意味での「差別」だけは解消しましたが、「逆差別」を設定することはしなかったわけです。


なにが言いたいかと言うと、「逆差別」を「差別」としてではなく「区別」として行うことが、唯一の「差別」を解消する手立てだと思うわけです。

アメリカの人種差別の例で言えば、白人の側は黒人の持っている文化や歴史的背景を知ったうえで自分たちとは違う人種であることを理解して、そこに一度”ひれ伏す”必要があったわけです。

 追記:これは「オレははじめから差別主義者じゃないから」とか「私は差別
     なんかしていなかったから」という個人の話とは違います。
     黒人は、アメリカで黒人に生まれたことに対峙せざるを得ません。
     逃れる権利も術も与えられていないわけです。
     それと同じように白人もアメリカで白人に生まれたなら、好むと好ま
     ざるとに関わらず、その立場に対峙せざるを得ないわけです。
     そして、その「白人と言う人種」が「黒人と言う人種」を差別していた
     わけです。
     これは、「イジメ」などにも言えることですが、傍観しているだけでも、
     その人は、そこに参加させられているわけです。

例えば、黒人に対して「教育」や「職業支援」などの優遇措置をとって、一世代のうちに、社会的地位が確実に対等になるような政策を施していたならば、「差別」の歴史は少しは解消されていたかもしれません。

機会を均等にするということではなく、不均衡に優遇するということです。
それで、はじめて均等だということだと思います。
(実際はそれでもマダだと思いますが)


人類の歴史の中に「逆差別」が「区別」として行われたことは無いように思いますが、「差別」が避けられないものならば、それを「区別」に転換していくのがいいように思うわけです。


相手を知ることで「区別」することが出来るようになります。
「区別」することで「差別」する必要がなくなります。


つまり、「上下の格差」すなわち「縦の差」を「種類の差」すなわち「横の差」に、置き換えればいいのだと思うわけです。
もちろん、初めから、それができるに越したことは無いでしょう。


アメリカの人種差別については、外側から見る限りでは、かなり希薄になったように見えます。

でも、もっともっと「差別」から遠く離れた社会に成るといいなと。


そんな風に思っているわけです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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