FC2ブログ

『私のように黒い夜』



前の記事との関連で、昔読んだ本のことを思いだしたので書きます。


この『私のように黒い夜』と言う本は、ジョン・ハワード・グリフィンと言う人が書いた本です。

かなり前に読んだので、忘れてしまっている部分もあって、細かいところで間違ったことを書いてしまうことがあるかもしれません。
(図書館で借りて読んだため、手元にないのでお許しください)


著者はジャーナリスト出身の人だったと思います。
人種差別に反対する運動などをしていた人のようです。

この本は、白人である彼が1959年に、アメリカ南部の黒人社会に潜入して、その実体験を日記形式で綴ったものです。


驚いたのは、その手法で、なんと彼は黒人に成りすまして、非常に危険とされていた、アメリカ南部の黒人貧民層が住む地区に、黒人として潜入したのです。

バレたら、当然命の保証はなかったでしょう。


彼は、人種差別反対運動を通じて日ごろから、、『白人である自分には、差別されている人たちの本当の気持ちはわからないのではないか?』と言う疑問を持っていたのでしょう。

そこで、自分が黒人に成って、黒人の目を通して差別を見てみたいと思うように成ったようです。


そこからが驚いたところなんですが、運動を通して知り合った医師に頼んで、薬品の塗布(確か飲み薬も使っていたと思います)や紫外線の照射(今でいう「日焼けサロン」みたいな感じだと思います)を、繰り返して(数週間~1か月ぐらいだったと思います)、しかも、実際の潜入に際しては、全身の体毛を剃ってサングラスをかけて、、本当にパッと見だと黒人に見えるようにしてしまったんです。
(当時の写真が出てましたが、十分黒人に見えました)


そして、彼は黒人貧民街に潜入して、様々な体験をするわけです。
それを脚色せずに、淡々と日記形式で起きた出来事だけを書いています。


はっきり言って、たいしたことは起きませんでした。
ちょっと危ないこともあったと思いますが、確か大したことは無かったと記憶しています。

それなのに、なぜか”ゾクゾク”します。
なんと言うか、「差別」、それも1959年にアメリカ南部の黒人が受けていた「差別」が、”ビリビリ”と伝わってきます。

例えば、「黒人の彼」がバス停でバスを待っているときだったと思いますが、ただ、おとなしく黒人用の場所で待っているだけなのに、白人の上品そうな御婦人が、彼の方に蔑むような表情をあらわにして睨みつけてきます。
その表情は「白人の彼」には一度も向けられたことが無い表情だったそうです。

こういう些細な出来事が、繰り返し淡々とつづられていきます。
読んでいるとだんだん「差別」と言うものが恐ろしくなってきます。

そして、「希望」とか「意欲」と言うものが、削ぎ落されていく感じがしました。


そして、彼が印象的だったこととして書いていたんですが、意外なことに、白人であることがバレるんじゃないかと言う不安をあまり感じなかったそうです。

彼が言うには、白人たちも黒人たちも、彼を一瞥して黒人であると判断した途端、黒人としてしか扱わなかったというんです。

よく見れば、顔だちや体つきなど白人であることが隠せない部分はあったはずなのに(まつ毛とか)、誰一人として疑おうともしなかったようです。

要するに、肌の色が黒いと言うだけで、他のことは一切問題にされなかったということです。
それが「差別」と言うものなのかも知れません。

実際に、当時の南部では、ほんの少しでも黒人の血が入っている者は黒人としてしか扱われなかったと言います。
だから、髪の色が薄い黒人や、目だけがブルーがかった色の黒人などもけっこういたらしいんですが、彼らはすべて「黒人」以外の何者でもなく、例外なく「差別」されたと言います(「平等な差別」ですね)。


つまり、「黒人であるということ」は、それだけで全面否定を意味しますし、「白人であるということ」は、それだけで全面肯定を意味します。

それが「差別」なんだと思いました。


そして潜入から帰還した彼は、この本を出版しますが、その後、彼は「K・K・K」などの人種差別主義者から、執拗な脅迫や嫌がらせを受けることに成るというおまけもつていました。

とにかく、人間同士が「差別」するということは出来る限り早くなくなって欲しいですね。


『差別なんてものはなくならないさ』と言う考え方の人もいるでしょうけど、私はそうは思いません。

きっと、なくなると思っています。

なぜなら、そこに「意味」がないから。


あとは、『いつなくなるのか?』ということかなと。


そんな風に思います。


関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR