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そこに「意味」を創り出すこと



私は「芸術」において成すべきことは、「意味」を創り出すことだと思っているわけです。
つまり、もともと「意味」のないところに、「意味」が創り出せたら『イイんじゃない』のかなと思っているわけです。


これは必ずしも「芸術」に限ったことではなくて、ほかの色々なことにも当てはまることなのだと思っております。


たとえば、経済活動には、「需要と供給の関係」と言う原則があるわけです。
つまり、初めから「需要」という「意味」があれば、そこに物を「供給」すれば儲かるわけです。
経済活動としてみた場合は、これで十分に成り立っているわけですし、均衡の取れた関係なのだと思います。


しかし、”よりイイ”か?というと、そうでもないようにも思うのです。


たとえば、砂漠の真ん中で、水も移動手段もなくて困っている人のところに、水を持っていって売れば、確実に儲かるでしょうし、それで、水を買った人たちも死なずに済むわけです。


ややアコギな商売ではあっても、命の値段だと思えば、高くはないのかもしれません。
そういう意味では均衡は保たれているともいえるでしょう。


でも、これでは、そこにあった「需要」=「意味」を利用して、そこに、物を「供給」しただけで、「意味」を創り出しているとは言えないわけです。

だから、”よりイイ”とは言えないと思うのです。
それで、人の心にわだかまりのようなものが生じるのだと思うわけです。


でも、そこで、とてもおいしい飲み物を無料で振る舞えば、その企業のイメージはグンと良くなるでしょうし、その商品の格好の宣伝にもなるでしょう。
そして、その商品が継続的に売れるようになれば、やはり結果的には儲かるでしょう。


今では、こういったことはどんな企業でも、よくやっているのだと思います。


ただ、現在行われているこうした企業活動は、常に、先回りして利益が計算されてしまう場合が多く、そうした損益の算段をすることなく、こうした活動をすることは、愚かなことだということになってしまっていると思うのです。

でも、それだとせっかく「意味」を創り出しているのに、また、元の形に戻ってしまっているわけです。

つまり、利益のありそうなところに、物を持って行って売るという形に戻ってしまっているわけです。
そこに、もう一つ工程が追加されただけです。

『のどが渇いている人のところに、水を持っていって差し出せば買うだろう』というのと、『そこで、飲み物を配れば後々儲かるだろう』というのが、ほぼ同じことになってしまっているわけですね)。


現状の経済というのは、こうした形でしか機能できないようになってしまっているわけですが、この「先回りして利益を計算すること」というのが、「意味」を生み出せなくなる最大の理由だと思うのです。


これは、もう一度、話を「芸術」に戻すとわかりやすいと思います。


「芸術」で利益を計算した作品に、人が惹きつけられるでしょうか?

前もって、流行るかどうか、売れるかどうか、コストパフォーマンスはいいか、と計算された作品と、純粋な「衝動」で生み出された作品のどちらに、人は惹きつけられるのでしょうか?

『そんなのは世間知らずの言うことだ』と言われればそうなのかもしれません。

でも、そう言う「世間知らず」な部分が、少し無くなり過ぎていることも確かなんじゃないのかと思うわけです。

昔の職人さんなどには、私など足元にも及ばないほどの「世間知らず」な人がいたような気もするのです。
そして、人の心を惹きつけるような魅力を持った品物というのは、決まってそういう人たちが創り出してきたわけです。

そして、その人たちも、なんとか生きて行ける世の中だったということです。


今となっては、もう、企業がそういう「損得抜き」「計算なし」で、「意味」のあるものを、創り出してくれるということには、だれも期待しなくなってしまいました。

だから、経済がインフレとデフレを繰り返しているのだと思います。

一言でいえば、景気が良くなれば高いもののほうが売れるし、景気が悪くなれば安いものしか売れなくなります。
つまり、物の「質」=「意味」で値段が決まるのではなく、すべてが景気で左右されてしまうわけです。


企業活動において、「意味」を創り出すことに「価値」が見い出されるようになれば、きっと、もう少し安定して、一般庶民が「ゆとり」を実感できるようになると思います。


そしてもちろん、「芸術」においても「意味」が問われるようになればいいんじゃないかなと。


そういうことを思っているわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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