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「本当の自分」



人間というのは、つくづく「本当の自分」を見ようとしないものだなと思うわけです。

そして、これは人間の最大の特徴である「言葉で考える」ということに依るところが大きいのだと思っているわけです。


「言葉」には「世界を二分する」という性質があるわけですね。

「A」といえば「A」と「Aでないもの」に「世界が二分され」ます。
その「二分割」を重ねていけば、そのたびに「世界が細分化」されていくわけです。

コンピューターのような、おそらく動物の脳よりもはるかに単純な機械が、動物や人間のように記憶したり判断したりできるのも、たぶん、このような「二分割」の積み重ね、即ち二進法による判断を使っているからなのでしょう。

そして、往々にして人間は、この性質に振り回されてしまうから、「本当の自分」を見ようとしなくなるのだと思っているわけです。

コンピューターには都合がいい「二分割」が、人間にとってはあまり都合よく働いてくれない時があるようです。


ほとんどの場合、「本当の自分」は世の中のどこかしら中庸にあるはずです。

例えば、「頭がいい」と言う言葉で、「頭がいい」と「頭がよくない」に「二分割」されたたとき、実際は、ほとんどの人がその中間に位置しているはずです。

でも、言葉の上では、その「中間」が表示されないわけです。
だから、「頭がいい」のか「頭がよくない」のかと言う、二者択一を迫られているような錯覚に陥ってしまい、「頭がよくない」方の自分を認めたくないがために、「頭がいい」方の自分しか見なくなってしまうわけです。


これは「頭がいい」ということに限らず、その人が認めたくない自分は見なくなり、認められる範囲の自分しか見なくなってしまうということです。
(当然、「頭がいい」方の自分を認められない人もいるわけです)


でも、実際には、ほとんどの場合「本当の自分」は、認めたくない範囲にもハミダシテいるわけです。

しかし、これは錯覚に基づいているわけです。
本当は、世界は「二分割」されているわけではなく、はじめから、「中間」も存在しているわけです。
ただ単に、言葉で表されている範囲で「二分割」されているだけです。

人間は機械じゃないんだから、無理にどちらか一方を選択しなくてもいいと思うのです。
機械は単純に出来てますから、「二分割」じゃないと処理できないというだけなんだと思うのです。

その「二分割」を積み重ねていくことでしか「中間」を生み出せないわけです。


でも、人間はけっこう複雑にできてますから、はじめから「中間」を把握する能力があるわけです。

だから、せっかくある能力を使って曖昧な領域を見て行ったらいいんじゃないかなと。
じっくりと自分をよく見て「中間」の中から「本当の自分」を見つけ出せばいいと思うわけです。

だいたい、人間はほとんどの場合「普通の人間」なんだし、どこか一部分が「極」にあるような人でも、他の部分は意外と「普通」だったりするわけです。
そして何よりも、どちらか一方の「極」に偏っていることよりも、「両極」を併せ持っていること、つまり「バランス」が重要なんだと思うわけです。

たとえ、その一方の「極」が「悪」であったとしても、対極する「善」を併せ持っていればいいわけです。


だから、もう、認めたくない「自分の中の反対の極」を隠す必要はないんじゃないのかなと。

そういう「人の本当の姿」にこそ、何か惹きつけられるものが潜んでいるようにも思うわけで、それを隠すなんて、何の意味もないことのように思えてくるわけです。

現在の世の中で”良い”とされていることが”イイ”と言う時代はもう過ぎてしまったように思うのです。そういう殻を捨てて「素(す)」の状態でいられるようになれれば、けっこう”イイ”んじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。




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