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「ことば」に実体を与えること



「ことば」と言うのは「論理」や「思考」をあらわす手段なわけです。
その「論理」や「思考」には「意味」があります。
しかし、それは実体を持っているとは限らないと思うのです。


「論理」や「思考」には、「意味」がありますから、それが実体を持つような気がしてしまうわけですけれど、その「論理」や「思考」が実体を持つには、それを物質化することが必要であると思うのです。


要するに、家に住むには、家の設計図と言う「ことば」を、実際に家を建てて物質化しなければならないわけです。
つまり、「ことば」だけでは、それを説明してはいても、実体がないわけです。


「ことば」と言うのは「論理」や「思考」の表面を覆って形を成している膜のようなものだと思うのです。
だから、「ことば」だけで構成された「理論」は、とても脆いものだと思うわけです。

これは、「ことば」に限らず、すべての「記号化された表現」に当てはまることだと思います。
つまり、記号による表現は、「意味」を持ちますし、それはわかり易い表現ではありますが、そこには、まだ、実体がないわけです。


これは、逆も言えていて、「記号化」されたものは、なんでも、その実体を失います。

物質的な実体を持ったものであっても、ひとたび「記号化」されてしまうと、場合によっては、その物質としての実体が失われて、「記号」としての説明的な役割に転換されてしまうということもあるわけです。

 ※例えば、標識や信号などは、間違いなく「物質」ではありますが、「実体を
  持った物質としての性質」よりも、「記号=ことばとしての性質」の方が強い
  ということですね。

だから、「ことば」や「記号」による表現と言うのは、針の先でつついただけで消えてなくなってしまうような脆さがあるわけです。


そこに実体を与える作業が「意味」を創り出すという作業であると思っているわけです。


「ことば」だけでも、そこに「意味」はありますが、それはまだ「設計図」ですから、実体を持ちません。
それを物質化して、はじめて、実体と成るわけです。


そして、その「意味の創作」と「実体化」を、両方一人の人間がやったとき、それを「芸術」と言うのだと思っています。


「意味」だけだと「論理」です。

「実体化」だけだと「技術」です。

両方で「芸術」かなと。


そんな風に思っています。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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