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「無駄」の価値



「無駄」っていうことは、要するに価値が無いことなわけです。
でも、その『価値が無い』は、常に『まったく価値が無い』だとは限らないと思うのです。


つまり、時には「無駄」が価値を持つということです。

例えば、「ゆとり」だって「遊び」だって見方によっては「無駄」なわけですけど、そういう「無駄」も必要なわけです。
そして、もう少し、その「無駄の価値」の範囲を広げていった方がいいんじゃないかと思うのです。


世の中の工業化が進んできたのに合わせて、「無駄」は削られる一方で、その領域が狭くなりすぎてしまっているように思うのです。

昔の、建築や家具なんかを見ても、全く必要ない所にまで、手の込んだ装飾がしてあったり、意味もなく精密にできているものなんて言うのも、珍しくもなく普通にあったりするわけです。


そういう作り手側の遊び心が、使う側の心もどこかで癒していたりしたのだと思います。

それを「価値のあるもの」としてではなく、あくまでも、「無駄」として”愛する気持ち”がいいんじゃないかと思うわけです。


例えば、『ダメだなぁ、これ』っていうようなものが、何年かしてみて、『あれ?これって実はいいんじゃないの?』っていうことがあるわけですよね。

今は、そういう「ダメ」を「無駄」として、はじめの段階で全部切ってしまっているわけです。
そうなると、数年後の『あれ?いいんじゃないの?』はなくなってしまうわけですね。


それで、作為的に作られた「イイモノ」しかなくなってしまっているわけです。

実は、最初「無駄」だったものが、「イイモノ」に成る過程が必要なんじゃないかと思うんですよね。
その「イイモノの部分」が発見されるという感じでしょうか?

それに、もし「無駄」のまま終わっても、「愛すべき無駄」っていうのも”有り”なんじゃないかなと。

そんな風にも思うわけです。


それ以前に、「愛されないけど、価値だけはあるモノ」が嫌いです。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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