「美しさ」の追究
かなり昔まで(100年ぐらい前?)、「芸術」は「美しさ」を追究するものであったのだと思います。
しかし、その「常識」が崩されて、それと引き換えに「限りない自由」が与えられたわけです。
それは、それでよかったのだと思うのですが、なにも、ムキになってまで「美しさ」を捨てる必要はなかったんじゃないかと思うわけです。
確かに「既成の概念」を捨てることで「自由」に成ったのだと思うのですが、それは、目的ではなかったのだと思うのです。
「既成概念」を捨てた後も、そこに残った「美しさ」まで、なにも、そんなに律儀に捨てなくてもよかったんじゃないのかなと。
要らなくなった「既成概念」を捨てることが目的であったわけで、「美しさ」を捨てることは、決して目的ではなかったのだと思うわけです。
そして、凝り固まってしまった概念を捨てた後の状態から、「新たな美しさ」を創造することにも何の問題もないように思うわけです。
そう考えると、改めて、「美しさの追究」が、「芸術」の一つの「道」であるということは、疑いようのない自明のことなのではないのかなと。
そんな風に思っているわけです。
- 関連記事
-
-
「エライ人に出来るエラクナイこと」と「エラクナイ人に出来るエライこと」 2017/10/17
-
『芸術の終わりを楽しもうじゃないか!100年でも200年でもかけて』という発想 2018/11/23
-
「創作や表現の本質」は「具象」にあり、「芸術の本質」は「抽象」にある 2016/06/21
-
「色の形」と「形の色」:「絵画」とは何なのか? 2014/10/21
-
「芸術の中心」と「芸術の外枠」 2015/04/15
-
「ランダム審査員」 2018/04/30
-
「拡散する方向性」と「引き留める力」 2015/03/08
-
「抽象表現」の現時点での目的はナニなのか? 2016/05/31
-
「パソコンの画面で絵を見る時」にも離れて見た方がいい(かな?) 2018/09/01
-
「芸術」における「ホンモノ」とは? 2018/03/04
-
「イミガワカラナイ芸術 2014/04/25
-
「本能」と「欲望」と「芸術」 2016/01/04
-
「デジタル画面の限界」:ネット上での「芸術鑑賞」は、これ以上普及しない!(かな?) 2019/01/07
-
「絵の大きさ」について 2016/11/06
-
「ポピュラー性」について 2014/12/17
-