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「抽象」は「偶像」を壊すことから始まるのだと思うのです



現在考えられているところの「抽象芸術」と言う概念が、出てきてから約一世紀ほど経ったわけです。


「抽象」は「具象」から抜け出して、新たな領域を開拓するために生み出されたんだと思うわけですが、その為か、「具象」を破壊することが目的になってしまって、その後、方向性を見失ってしまっているように思えるわけです。


もともと、「完全な具象」も「完全な抽象」も、現実に成り立たせることは不可能でしょうから、「抽象表現」には「具象性」が、「具象表現」には「抽象性」が必要に成るわけで、「具象」を完全に破壊してしまうことは、「抽象」をも成り立たなくさせてしまうことに成ってしまうわけです。

それで、現在「抽象表現」はハッキリした方向性を見い出せなくなってしまっているんだと思います。


それでも、まだなお「芸術」には「抽象表現」は必要だと思うのです。
そこにしか、行く方向が無いんだと思います。

また、もしほかの方向が見えてくるとしても、それは、「抽象表現」が現状よりも、もう少し確かなものとして把握されてからなんじゃないかと思うわけです。

要するに、「具象性」を排除することに力を使いすぎてしまったために、それができなくなってしまったんだと思うわけです。


実際には、破壊すべきものは「偶像」だったんじゃないかと思うのです。

一つの頂点に向かって行くこと、その「頂点」こそが「偶像」なんだと思います。
つまり、「具象」を完全に壊してしまう必要は始めから無くて、「頂点」にマツリアゲラレタ「偶像」を破壊して、「芸術」を手の届く位置に引き下げればよかったんだと思うわけです。

そうすれば、「抽象」は今ほど「解り難いもの」でもなくなるでしょうし、「抽象」と「具象」の間に、現状のような不自然な隔たりも無く成るんじゃないかと思っています。


そして、その「偶像」を破壊するという過程で、もし「芸術家」自身が高い位置に居たとするならば、自らその位置を引き下げて、平地に足を置く必要があったということなんだと思います。

そして、それをした人が居なかったんじゃないでしょうか?
(本人も周りの人も含めてですね)


まぁ、居たとしても誰も気が付いてくれなかったんでしょうけどね。
みんな、「頂点」の方ばかり見ていたわけですから、低い位置にいる人のことなんか見向きもしなかったんでしょう。


結果的に「天才」という「偶像」は、以前にもまして「崇拝」されて、平地に降りるどころか、ミルミルと高い位置へと舞い上がって行ってしまったということでしょう。


ようやく、一通りの「天才」が出尽くした今、一度リセットして「偶像」を破壊することから始めるというのがいいんじゃないかと思います。

そうすることで、ほぼ一世紀の間見えなくなっていた方向性が見えて来るんじゃないのかなと。


そんな風に思っています。




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