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「拡散する方向性」と「引き留める力」



「自由」とは、言い換えるならば「拡散すること」だと思うわけです。
つまり、果てしなく広がって行くことこそ「自由」を象徴することなんじゃないのかなと。

そして、それを引き留めようとする力が、「拘束」に成るわけですけれど、その「拘束」のない所で、広がって行くことは「自由」なことではあっても、最も「自由」なことではないと思うのです。


本当の「自由」とは「拘束」からの「解放」であり「脱出」であり、「解脱」であるわけです。

繋ぎ止める力が強ければ強いほど、そこからの「開放感」も強いわけで、 「拘束」が無いと、本当の「自由」は得られないのかもしれません。

「拘束」のない「自由」は、ニュートラルな「自由」で、「拘束」からの「自由」は、「意志」や「方向性」を持った「自由」です。

「拘束」と「拡散」のどちらか一方では、「自由」も「芸術」も成立しないのかなと。
その二つを拮抗させることで、「自由な芸術」に成るのかなと。


そういう風に考えています。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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