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「見ること」・「知ること」・「言うこと」



「表現」と言うのは、「見ること」にはじまって、「知ること」を経て、「言うこと」に至るのだと思っているわけです。


その最後の「言うこと」だけを取り上げて「表現」と言ってしまいがちなわけですけれど、その前に「見ること」や「知ること」が無ければ、その「表現」は意味のあるものにはならないのだと思うわけです。


「見ること」において、大事なのは「見たくないものを見ること」でしょう。
「見たいもの」だけ見ていても「見たこと」にはならないでしょう。

そして、人間が一番見たくないものは、「自分の姿」だと思うわけです。
「自分の中の嫌な部分」が、人間にとって最も「見たくないもの」でしょう。


「知ること」は、「考えること」とも言い換えることが出来るでしょう。
「見たくないもの」を見つめて、それについて考えて、何かの「意味」を見つけ出したら、それは一つの「智」となるのだと思うわけです。


「言うこと」で大事なのは、臆することなく「言うこと」でしょう。

それは、つまり、何かに対して「配慮すること」と、誰かに対して「へつらうこと」を混同しないことでしょう。

「媚やへつらい」を「人への配慮」に置き換えて、「媚びへつらっている自分の姿」を「見ないように」してしまえば、はじめの「見ること」の段階に引き戻されてしまうわけです。


さて、そこで、

自分の中の嫌な部分をよくよく見つめて、

そのことをよくよく考えて、意味を見つけ出して、

さらに、それを何者にも臆せずに言う。


ゴメンナサイ、無理です。


まぁ、一応の目安ですね。
理想形としての目標ということで、一応置いとけばいいのかなと。
置いとくだけでも、少しはイイのかなと。


そんなところです。





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