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「本当のことを言うこと」



「本当のことを言うこと」は、とても大事なことだと思うのです。
『そんなことは、当たり前だろう!』と言われてしまうかもしれませんが、これが、意外とできないということがあるわけです。


人間は、基本的に「本当のこと」を言われるのが嫌いです。
他人事としての「本当のこと」までは、なんとか受け入れるんですが、自分のことと成ると、ほとんどの人が、「本当のこと」を受け入れません。

単純に「自分の間違い」を認めることですら、ほとんど出来ないと言ってもいいと思います。
もちろん、「自分の間違い」を認めるときはありますが、大抵の場合、それは認めないと、『より一層”見っともない”ことに成るから』と言う理由からで、純粋に『それが間違っていたから』と言う理由で、それを認めているわけではないと思います。


要するに、なんとか「自分の間違い」を「正当化」できないものかと、いつも、頭を巡らせているわけですね。
私なんかもそうですけど、多くの人が、常日頃、そこにはかなり一所懸命に頭を使っていると思います。

実際に、表向きは「自分の間違い」を認めたフリをしていても、何か機会があれば、必ずと言っていいほど「言い訳」をしようとするのが普通です。

ほとんどの人がそういう状態ですから、「本当のことを言うこと」は、そうたやすいことでも、そう当たり前なことでもないわけです。

まぁ、だからこそ「本当のことを言うこと」が大事になってくるんでしょうね。
誰も「本当のこと」を認めたくないわけですから、それを言う人が居なければ、「本当のこと」は無く成って行くわけです。

そうすれば当然、「デタラメなこと」や「嘘のこと」や「意味のないこと」で、世の中が固まって行ってしまうわけです。
と言うより、人間の社会と言うのは、いつも、そういう状態だと言った方がいいのかも知れませんね。


そして、現実に、「本当のことを言うこと」が完全に排除されていったときには、その社会では、必ず「悲惨なこと」が起きてきたわけです。


ですから、「本当のことを言うこと」は、やはりとても大事なことだと思うわけですが、ここで、この「本当のことを言うこと」と似ているもので、「啓蒙」と言うのがあるわけです。
その「啓蒙」と「本当のことを言うこと」は区別されるべきだと思うのです。


「世の中を良くしよう」とか「自分の考えを世に広めよう」と言うのが、「啓蒙」なんだと思うんですが、これは、現在はもう必要ないものなんじゃないかと思うわけです。

世の中が、一つの方向性を持っていた時代には、この「啓蒙」と言う考えが、意味を持っていたのかも知れませんが、現在、世の中には多様な方向性があって、そのことによって、「個の自由」が確保されているわけですから、一つの基準に向かって、世の中を「啓蒙」するということには、もう意味が無く成ってしまっているわけです。


じゃあ、その二つはどう違うのか?ということに成るわけですね。
その違いは「当たり前のこと」と「当たり前ではないこと」だと思っています。

「本当のこと」は「当たり前のこと」で、「啓蒙」は「当たり前ではないこと」ですね。

つまり、「本当のことを言うこと」は、必ずしも当たり前ではないけれど、「本当のこと」自体は、当たり前なんですねぇ。


私はこれを、童話『裸の王様』に例えていますけど、『裸の王様』の話の中では、みんな「本当のことを言うこと」をしなくなっています。
そこで、一人の子供だけが、「本当のことを言うこと」をするわけですが、その子供は、別に「社会を啓蒙しようとした」わけではありません。

ただ単に「本当のこと」を言っただけです。


王様が裸だから、『王様は裸だ!』と言っただけで、『世の中を良くしよう』としたわけでもなければ、『世の中に良い考えを流布しよう』としたわけでもありません。

それどころか、その子供の考えたことですらないと言った方がいいくらいです。


つまり、見たままの「当たり前のこと」を、そのまま言っただけです。


「啓蒙」は、「王様の着ている服」について、『センスが良くない』とか『もっとノウハウにあった服装を選ぶべきだ』とかと言うことでしょう。


つまり、「当たり前”以上”のこと」を要求するのが、「啓蒙」だと思うのです。
それについても、まったく必要がないとは思いませんが、まぁ、無くてもどうってことないとも思います。


でも、「本当のことを言うこと」の方は、それが無く成ってしまうと、社会は確実に「悲惨」へ向かって行くように思います。


大袈裟なように聞こえるんでしょうが、これも一つの「本当のこと」です。
つまり「当たり前のこと」ですね。


そんなわけで、「啓蒙」よりは「本当のことを言うこと」が大事かなと。
ちなみに、このブログは「当たり前のこと」が中心です。

”見たまま”ってことですね。

でも、たまには「当たり前じゃないこと」も書いてあります。
それは「どっちでもいいこと」ってことですね。


そんな風に思っています。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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