FC2ブログ

「芸術」は一人では達成できない?



「芸術」と言うのは、一人では、なかなか達成できないものだと思うわけです。


それで、昔から「パトロン」と言われる人が居て、「資金」や「制作のための環境」を提供してきたわけですが、そういう「パトロン」のほとんどが、貴族階級などの裕福な人だったわけです。

ただし、ここでひとつ大事なポイントがあると思うのです。
それは、昔の「芸術のパトロン」に成るような人たちは、単に「お金持ち」なだけではなくて、働かなくてもいいぐらいに「お金持ち」だったということです。


自分で働いて「お金持ち」に成った人と言うのは、どうしたって「お金の有難み」が解ってしまうわけです。
だから、「お金」を出すときに、必ずどこかで「見返り」を計算してしまうわけです。
もともとは、純粋に「芸術」が好きで、損得抜きに援助しようと思ったんだとしてもですね。

つまり、彼らにとって、その「お金」は「資本」であり、「芸術」は「投資の対象」になってしまうわけなのです。


だから、仕事で稼いだ人や、財産を守る為に頭を巡らせているような人というのは、たとえ、どんなに「お金持ち」でも、純粋に「”伊達や酔狂”のパトロン」にはなれないのです。

そして、必要なのは、その「”伊達や酔狂”のパトロン」なわけです。
それでないと、「芸術」に何かしらの影響が出てしまいますからね。

要するに、「経済の力」が加わってしまうわけですね。

『それでもいいじゃないか!どこが悪いんだ?』と言う人もいるのかも知れませんが、わたしは『それでいい』とは思わないということです。


つまり、「お金の有難み」が解らないような、昔の「お金持ち」みたいな人じゃないと、「芸術のパトロン」には成れないということです。

 ※宗教団体が「パトロン」の場合は、「お金持ち」のイメージはないですが、
  やはり不労所得(寄付など)が資金源ですし、貴族階級とも結びついてい
  たのでしょう。

ところが、その反面、そうした庶民感覚を一切持たない「パトロン」たちが、「芸術の真価」を判断できるのかとなると、それもまた難しいでしょう。

おそらく、昔は「お金」が使い切れずに余っている階層の人が、正に”金に糸目をつけず”に、芸術家に好き放題やらせていたということなんでしょう。
そして、そういうことが彼らにとっての「ステータス」でもあったのでしょう。

そういう「時代の空気」があって、それが、その時代に求められていた「芸術の方向性」とも一致していたということなのでしょう。


でも、今はもう、そんな「のんびりしたお金持ち」もいませんし、そんな「のんびりした時代」でもなさそうです。
さらには、現在の「芸術」に求められる方向性は、そんなに「のんびりしたした芸術」でもなさそうです。


要するに、「芸術」は基本的に一人で達成しなければならないものに成ったということです。

これは、むしろいいことだったのだと思います。
世の中の「格差」が小さくなって、「お金持ち」も働かなければならなくなったということなのでしょう。

巨大な資本を受け継いだ者でさえ、それを維持していくには頭を使わなければならなくなったということでしょう。

「のんびりした時代」まで、失われることもなかったんじゃないかなとも思いますけれど、取り敢えず、社会全体にとってはいいことだったんじゃないかと思うわけです。

 ※「のんびりした時代」も、また、与えられるものではなく成って、
   一人一人の人が、自分の中に創り出していかなければならな
   く成ったということかもしれませんね。
   そして、これもまた、いいことだったのかも知れません。


そこで、「芸術家」は、自ら「経済の力」から逃れるべく”孤立”しなくてはならなくなったわけです。

でも、これがかなり厳しいわけです。
「芸術を一人で達成すること」が、ですね。

私の場合、今は妻が協力してくれていますから「二人で~」ですが、庶民以下なので、とても「パトロン」とは言えませんね。

とにかく、時間も手間もかかりますし、他のことはあまりできませんから、生活が成り立たなくなるわけです。

私の場合は、「生活」まで含めて「芸術」だと思うようにしていますが、どうしても「生活」に拘束されていることで、”チカラ”が奪われるように感じてしまうことが出て来るわけです。

足りないのは、”チカラ”と言うよりも単純に「時間」かも知れませんね。


そこで何とか思いとどまって、『いや、コレも作品の一部なんだ』と自分に言い聞かせるわけです。


これからの「芸術」と言うのは、その辺を克服していかないとならなく成っていくのだと思っています。

それでないと、いつまでたっても、

「ウレてるもの」=「スバラシイもの」

「ウレてないもの」=「シケタもの」

と言う構図から抜け出せないと思うのです。


それにしても、もう少し「芸術」を一人で達成できるような、即ち、「パトロン」に代わるような、「経済効果抜きの社会的な環境」があってもいいんじゃないのかなと。


そんな風にも考えてしまうわけなのです。




関連記事

管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


リンクはご自由にどうぞ

QRコード

QR