3.現状に至って、時代を喪失させることが最良の策と判断した
本来ならば、過去に形成された混迷の原因を一つ一つ解き明かし、そこに明確な解釈を加え、全ての要素についての説明がなされた上で、
新たに理念を構築するべきなのであろう。
しかし、過去の例を見れば明らかだが、そのやり方は更なる混迷の種にしかならない。
そもそも我々は≪芸術の20世紀≫を≪喪失の世紀≫と名付けようとしているわけだが、
それはあくまでも「喪失させるべき時代を呼ぶための名」であり、
「20世紀の個々の芸術家を揶揄するための名」ではない。
いや、むしろ彼らの構築した世界が確固たるものであったがために、
今、我々は”喪失させる必要 ”に迫られているのであり、
そこに対する一定の評価を示すものですらある。
彼らの築いた”確固たる世界 ”の中に含まれている「20世紀の誤謬」を、
抽出して修正するには、精度の高い厳密な理論をもって
”確固たる世界 ”を切り崩さなければならず、それは結果的に難解な説明にならざるを得ない。
その結果、その説明自体が新たなる混迷の種になってしまうのである。
また、その修正者自身も20世紀に身を置いて説明してきたため
「20世紀の誤謬」を完全に避けることは困難であり、
その説明の中にもまた「20世紀の誤謬」が含まれてしまうという連鎖を生んでしまうのである。
以上のことから、≪芸術の20世紀 喪失≫によって時代を100年回帰し、
現在の混迷を抜け出し、新たなる芸術理念の構築を可能にするための
「誰にも踏み荒らされていない新たな舞台」を設置することを提言する。
「20世紀の信奉者」と私が呼ぶ、現代美術を愛する人たちにとって、
この「宣言」は「20世紀美術に対する冒涜」と感じられるかもしれない。
しかし≪新生20世紀の芸術≫が「誰にも踏み荒らされていない真っ白い舞台」の上で、
思う存分自由に独自の世界を紡ぎだして行くさまを、思い浮かべてみてほしい。
それは即ち、もう一度20世紀美術が刻々と生み出されて行く様子を
リアルタイムで再体験できるということであり、
その場に立ち会うことの歓喜を想像していただければ、
これが冒涜などではないことが理解していただけるのではないだろうか。
私としては、「彼らの中の20世紀」にも勝るような
≪新生芸術の20世紀≫が訪れるであろうことを大いに期待している。
それは、我々現代の人間とその後の未来の人々が、
いかに自己の芸術や人生に責任を持った態度をとって行くかという
ことにかかっているのだろう。
(芸術に限らずあらゆる場面で)
※「20世紀の信棒者」:「現代美術」が持っている「それを受け入れる者と受け入れない者が
はっきりと分かれてしまう」という性質から、それを肯定する側の者は、
より熱心な「擁護者」とならざるを得ない。
ここでは、そういう人たちを「20世紀の信棒者」と呼んでいる
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