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「オシャレな芸術」と「オシャレじゃない芸術」



「オシャレな芸術」と「オシャレじゃない芸術」というのがあると思っているわけです。


「オシャレな芸術」とは、その場に馴染む芸術、即ち、「インテリアになるような芸術」です。
これは、「インテリア」を「ファッション」に置き換えても同じことが言えると思います。


「オシャレじゃない芸術」とは、その場の空気を支配する芸術、即ち、「インテリアにならないような芸術」です。
と言っても、私がそんな風に呼んでいるだけで、「オシャレ」=「インテリア」でもないわけですけれど。

また、これはその作品の”良し悪し”とは必ずしも関係ありません。

言えることは、「インテリアになる」ということは、その場に置いてある他の物と”馴染む”ということで、それは、つまり、それらの「芸術作品ではない物」との相性がいいということなわけです。

やや語弊があるとは思いますが、「芸術作品ではない物」と共通の要素を、多く含んでいるということでもあるわけです。


そして、「インテリアにならない」ということは、その場に置いてある他の物とは”馴染まない”ということで、それらと共通の要素が少ないということなわけです。

ただし、先に述べたように、「芸術ではない物」と共通の要素が多いことは、「芸術として出来が悪い」ということではありません。


例えばですが、「芸術性のある家具」というものもあります。
インテリア全般に言えることですけれど、そこにも「芸術性」は有り得るわけです。

私は、実用性ということを「芸術の中心からは遠い」と判断しますが、それは「芸術」の中で、そのものが在る位置のことであって、「芸術作品」としても「芸術性のある実用品」としても、質が低いということではありません。


そして、当然のこととして、インテリアと”馴染む”ためには”相手を選ぶ”という性質が出て来るわけです。

例えば、インテリア同士でも、「ヤスブシンな部屋」にロココ調などの重々しい家具を置けば、まったく”馴染まない”わけで、かえってみすぼらしくなる可能性も大いにあるわけです。


これと同じことは「芸術作品」と「インテリア」の間でも成り立つわけで、「芸術性」を多く含んだ「インテリア」と”馴染む”のは、それだけの「芸術作品」でもあるわけです。

これとは逆に、「インテリアにならない芸術」即ち「オシャレじゃない芸術」は、他の家具などとは無関係に、その場を支配してしまいますけれど、それが、「芸術作品として優れている」ということでもないわけです。


例えば、先ほどの「ヤスブシンな部屋」の例とは逆に、センスのいい家具をそろえたような部屋、つまり、「オシャレな部屋」に、「オシャレじゃない芸術」を持ち込んだ場合、それの”出来が良いか悪いか”には関係なく、その場を支配してしまうわけなのです。

こちらは”相性とは無関係”なわけなのです。


要するに、そういうときに、「最悪の作品はその場を支配して、せっかく出来上がっている統一感を台無しにしてしまう」に違いないわけだし、「最良の作品はその場を支配して、他の物の存在感を消し去ってしまって、やっぱり統一感を失わせてしまう」
に違いないわけなのです。

どちらにしても、他の物との調和は失われてしまうわけです。

ということは、つまり、調和のとれた”居心地の良いインテリア空間”とは言えなくなってしまう可能性が強いということなのです。


なかには、”出来が悪くて”その場を支配するような”チカラもない”といったものもあるでしょうが、それは「オシャレじゃない芸術」ではなくて「オシャレじゃなくて、芸術でもないモノ」なわけなのでしょう。


「オシャレな芸術」と「オシャレじゃない芸術」のどちらが価値が高いのかと言うのは、むずかしいことだと思うのですけれど、たぶん、「オシャレな芸術」は”実用的な価値”では上回っていて、「オシャレじゃない芸術」は「芸術」としての”純粋性”において上回っているということなのだと思います。

そして、創作者としても鑑賞者としても、この二つのうちどちらを選ぶかは、その人が、二つのうちどちらを必要としているかで決まって来るのかなと。


はっきりしているのは、「オシャレじゃなくて、出来も悪くて、芸術でもないモノ」は、誰も必要としていないということくらいかなと。
(純粋な気持ちで作られたモノは、そんなことにはならないと思いますけどね)


そんな風に考えています。




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