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「ポジティブなネガティブ」と「ネガティブなポジティブ」



このブログで、何度か言っていることなんですけど、現在の日本では(世界的にもその傾向はあると思いますが)、全ての考え方が、「ポジティブ」に偏りすぎていると思うわけです。


これは、とにかく行き過ぎていて『どう考えてもオカシイでしょ』と思っているわけです。

そんな中で、とくに『オカシイ』と思うことの一つが、一見すると「ポジティブ」な人が、実情はとても「ネガティブ」でも、「ポジティブ」の看板さえ出していれば「ポジティブ扱い」で通っていたり、「ネガティブ」を批判するときだけは、どんなに「ネガティブ」なことを言っても「ポジティブ扱い」になってしまっていたり、自分に関しては「ポジティブ」だけど、他人については「ネガティブ」と言う「ご都合主義」もひっくるめて「ポジティブ扱い」ということに成っていることなわけです。

つまり、「ポジティブなネガティブ」っていうのが、とても多いんじゃないかなと感じるわけですね。

もうちょっと言わせてもらえば、「ポジティブに成りすましたネガティブ」ですね。


本当の「ポジティブ」は悪いものではないと思っていますけれど、それですら、行き過ぎればバランスを欠いてしまうわけですよね。

これは、なんにでも言えることでしょうが、バランスを欠いたものが人間にとって”イイモノ”であるということは決してないわけです。


そして、その”バランスを欠いた”結果が「ポジティブに成りすましたネガティブ」なのだと思うのです。


要するに、「ポジティブ」と言いさえすればなんでも通ってしまうことが、”悪用”されてしまっているわけですね。


簡単です。

「ネガティブ」なことを言いたいときや、やりたいときは、それを『ポジティブだよ』と言えばいいわけです。

こんな風に言うと、『それは言い過ぎだろう』と言う人もいるでしょうが、事実です。


どんなに「ネガティブ」なことでも『私なんかとてもポジティブだから』と笑いながら言えば、だいたい「ポジティブ」で通ります。
誰一人として『それ、ちっとも「ポジティブ」じゃないですよね』と言うことはありません。
もし、そう言う人が居ても、その人が「ネガティブだ」ということに成ってしまうので大丈夫です。


これが「イジメの構造」でもあります。


みんなとちょっとでも違うことを言うと「ネガティブ扱い」になって「イジメ」の対象にされてしまいます。
「イジメてる側」は、笑いながら軽い調子で「ポジティブ」に「イジメ」ますから「ポジティブ扱い」です。


「イジメられてる側」は、どうしたって深刻ですから「ネガティブ扱い」です。
でも、実はこちらの方が「ポジティブ」である場合も多いわけです。

本当に「ポジティブ」な人は、正直にモノを言ってしまいがちですから、人と違うことを言ってしまいます。
すると、即「ネガティブ扱い」に成ります。
その結果、「イジメ」られます。

そうなれば、どうしたって「ネガティブな感じ」に成ります。
これが「ネガティブなポジティブ」です。


つまり、「ネガティブ」が「ポジティブ」に、「ポジティブ」が「ネガティブ」に、すべてがねじれて反転してしまうわけです。


こんな状況で、子供から大人まで、そして老人までも含めて、自殺者が後を絶たない中で、いったい何をもって「ポジティブ」と言っているのか、私には理解出来ないのです。


もしも、現在の「ポジティブ」が、一部の人にとっては”イイモノ”なのだとしても(私は、これ自体が錯覚だと思いますが)、そういう人たちは、そこを少しだけ”ガマン”した方がいいんじゃないかと思うわけです。


「ポジティブ」が強調されていけばいくほど、自殺や「イジメ」は増え続けると思います。


ええ、確かに、ここで私が言っていることが間違っているのかも知れませんし、「ポジティブ」をやめたら、もっと悪くなるのかも知れませんね。

だから、「ポジティブ」続けますか?


私はできません。


本当は「ポジティブ」が悪いわけではないのでしょう。
でも、「本当のポジティブ」はもう無く成っています。
あるのは、「ポジティブなネガティブ」と「ネガティブなポジティブ」です。

たとえ、自分の「ポジティブ」が「本当のポジティブ」でも、
そんなことはかき消されてしまいます。

それは結果的に”悪用”されてしまうのです。


だから、もう「ポジティブ」は当分の間、封印した方がいいんじゃないのかなと。


そんな風に思っているのです。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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