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「拘束」を解かなければ「解放」されることはない



現代社会で生きるということは、この世に生まれた時点から始まる、さまざまな「拘束」の中で生き続けるということなのだと思うのです。


人間を取り巻く「拘束」や「束縛」は、現代に限ったものでもないのでしょうが、「教育」がシステム化することによって生み出されている「拘束」が非常に多いと考えますので、その「教育の制度化」が進んだ現代においては、一段と「拘束」が生み出されてしまう比率が高くなっていると思うわけです。


人間はほかの動物と違って、制度化された「教育」を必要とする生き物になっているわけです。
人間としての最低限度のルールや道徳といったものを身に着けるだけでも、「なんとなく親が教える」だけだと追いつかなくなっているわけで、やはり、それはシステマチックな「教育」による以外ないということに成るわけです。

ところが、この「教育」によって刷り込まれる概念が、ある意味では、人間を「拘束」するようになってしまうわけです。


つまり、システマチックに「教育」されますから、どうしても、それぞれの過程を表面的な理解で通過していってしまうわけです。
単なるルールとしてならば、、それでいいのでしょうが、本質を理解されずに無条件に刷り込まれてしまうので、応用が利かなくなってしまうことがあるのだと思うわけです。


そうして、その「教育されたこと」が時と場合によっては「拘束」となってしまうということなのでしょうね。


しかし「教育」の場で、物事の本質に至るところまでを、「教育」するということは、なかなかできないのでしょうから、自分が「解放されたい」と思うならば、一人ひとりの人が、あえて「拘束」を解いていかなければならないのだと思うわけです。


かといって、もともと生きていくために必要があって、「教育」によって与えられた「拘束」ですから、むやみに解き放ってしまうと、社会から逸脱してしまうわけです。

そこで、独力で物事の本質を理解することが必要になってくるわけです。
理解したうえで、「必要なこと」だけを残して、「拘束」になっている部分を切り捨てていけばいいわけでしょう。


いずれにしても、自分で「拘束」を解くという意識を持たないと、無条件に刷り込まれて潜在化した「拘束」を解くことは難しいのかなと。

つまり、「自由」が与えられていても、「自由」になれないということですね。


そんな風に思っています。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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