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芸術における「違和感」と「親和感」



芸術作品を見たときに、「違和感」を感じることは、よくあることだと思うわけです。
要するに、インパクトのある作品には、この「違和感」を感じることも多いということなのでしょう。


作者の表現しようとするところが突き詰められていって、凝縮していればいるほど、それは、第一印象としての「違和感」を与えやすいということがあるのだと思うのです。

だから、この「違和感」を毛嫌いしてしまうと、芸術の”肝(きも)”の部分を感じ取れなくなってしまうわけで、ちょっともったいないように思うわけです。


しかし、このことと、「違和感」自体が芸術の目的であるということとは、全く違うことなのだと思うわけです。

むしろ、芸術の本来の目的とするところは、「共感」であって、この「違和感」とは反対のものなわけですから、創作者は鑑賞者との間に「親和感」を生み出すことを目指しているはずなわけです。

もし、創作者が「違和感」を目指してしまっているのだとしたら、それは、言い換えるならば、「見る者を拒んでいる」ということに成ってしまうわけなのです。

だから、「見る者を出来る限り受け入れられる」ような許容量のある作品がイイんじゃないかなと。

「見る側の許容量を要求してくる」作品が持っている「違和感」と言うのは、チョット違うんじゃないかなと。


そんな風に思っています。



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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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