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「芸術の中心」と「芸術の外枠」




何かについて定義する時には、そのものの「外側の境界線」を示すというのが一般的なんだと思うわけです。
つまり、どこからどこまでを「〇〇」と言うのか?ということに成るわけでしょう。

ところが、現在の「芸術」に関しては、この「外枠」での規定が難しくなってしまっているわけです。
「芸術」をどこまでも自由にしようという発想から、「外枠」を取り払ってしまったわけですね。


「外枠」を規定するということは、その枠の中にそれを閉じ込めるということに成るわけですから、「自由」とは言えないのだと思います。

確かに、そのことによって、「芸術」はある意味で「際限のない自由」を獲得したという形にはなっているわけです。


しかし、この「際限のない自由」と引き換えに「定義」や「規定」と言った、その物が存続するために必要不可欠なものを失ってしまっているということも、また、事実だと言わざるを得ないわけです。

つまり、最も厳密な意味で言えば、現在「芸術」と言う分野は存在していないということです。


そこで、私はこのブログの冒頭に掲げております「宣言」の中で、「芸術の仮定義」として「芸術の外枠」については、最大限に拡大可能な状態を維持しつつ、「芸術の中心」として「真術」と言う新たな名称を設けることによって、「芸術」を何とか規定しようと考えたわけです。
(あくまで、自分自身の中での規定ですが)


それにつきましては、あくまで試みとして考えたことですから、『これが芸術の定義なんだ』とか、『こういう形で芸術が規定されるべきである』とかと言うつもりは毛頭ありません。

ただ、いま言えることとしては、「芸術の外枠」を失くした状態で、「芸術の中心」をも、規定しないままにしておけば、「芸術」と言う分野は存続できないだろうということです。


中心(核)も外枠(輪郭)も無いものを、存在していると言い続けることは出来ないでしょう。
今は、それが存在しているに違いないという、人々の中の固定観念によって、それが存続しているように見えているにすぎないのかも知れません。


「芸術の中心」を規定するということが、「芸術における自由」を害するものなのかどうかはまだわかりませんが、少なくとも、「外枠」で閉じ込めてしまうことに比べると「自由度」は高くなるように思います。


そんなわけで、「芸術の中心」から「芸術」を定義、または、規定していきたいなと。

そんな風に思っているわけです。
(あくまで、自分自身の中での話ですけどね)





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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