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全ての人が「ワン・アンド・オンリー」であるということ



「芸術の20世紀」においては、沢山の「~イズム」が生み出されたわけですが、それらの中で、今なお芸術としての活力を保っているものは無いのではないかと思うわけです。


しかし、このことは当然と言えば当然のことだったんだと思うのです。

もともとあった「アカデミズム」を捨てたことで、ある意味で「拘束」を解かれたわけですけれど、「アカデミズム」を「伝統」あるいは「正統」と解釈するならば、それを捨てたわけですから、すべての「~イズム」は、「ワン・アンド・オンリー」つまり「唯一無二」に成るはずであったわけです。

それを「~イズム」を名乗って「〇〇派」や「〇〇主義」ととして、グループを形成したことによって、そこに新たな「伝統」や「正統」が築かれることが期待されてしまったわけです。

でも、その「伝統」や「正統」を否定することから始まっているのが、20世紀の「~イズム」ですから、当然、そこには自己矛盾を生じてしまうわけで、結果的に、それらはすべて消滅せざるを得なくなってしまったわけでしょう。


はじめから、一人に一つの「~イズム」であれば、何の問題もなく、その人がその「~イズム」を作り上げて、その人と共にその「~イズム」も終わって行くという、ごく当たり前の流れができていたんじゃないかと思うわけです。


それでももちろん、誰かの「~イズム」に、他の誰かが影響を受けたり、それを受け継いだりするということはあるんだと思いますし、それはむしろ大切なことじゃないかと思うわけですが、それは、誰かの「~イズム」が「伝統」や「正統」として、広く受け継がれることとはだいぶ意味合いが違うと思うのです。


いずれにしても、芸術における「~イズム」は消滅してしまうものだということですけど、それが「一人の~イズム」であるということが重要なんじゃないかと思うわけです。

つまり、「現在の芸術」においては、この自分一人の「~イズム」を創り出すことこそが、その人の表現であると言えるんじゃないかと思うわけです。


そこで、どうも、その「~イズム」が、『いかに特徴的なものであるか』とか、『いかに人がやったことがないことであるか』とかに、意識が集中しすぎているんじゃないかと思うのです。


そういう基準ではなく、『いかにその人らしいものであるのか』と言う基準で見る方がより「芸術の自由度」も高くなるんじゃないかなと。

そして、それこそが最も「唯一無二であること」すなわち、「ワン・アンド・オンリー」であることなんじゃなのかなと。


そういう風に思います。





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