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「話」には「層」がある



「話」には「層」があると思うのです。
一つの「話」をしている時には、本来、一つの「層」の中で「話」をしている”ハズ”なんだと思うわけです。


例えば、「冗談」を言っている時には、「冗談」と言う「層」で言っているわけで、それに対して、誰かが、「冗談」以外の「層」で言葉を返すと、それが「冗談」として成り立たなくなってしまいます。


それと同じように、どんな「話」にも、それぞれ、その「話」に見合った「層」があって、それを無視すれば、その「話」はほとんど意味をなさないものに成ってしまうわけなのです。


ところが、とりわけ議論の場においては、この「話の層」をしっかりととらえて「話」を進めていくのが、なかなか難しいわけです。

そして、この「話の層」を外してしまうと、あっという間に、「不毛な言い争い」になってしまうということですね。


そうならない為には、どちらもお互いに「共通の層」に合わせて、「話」をしようとする気持ちが必要になってくるわけですけれど、議論の場においては、相手を論破しようという考えが出て来てしまい勝ちですから、むしろ、「相手の層」に合わせないようにしてしまうわけですね。

つまり、相手の足をスクオウとするわけですね。


でも、これは全くの本末転倒で、それだったら、はじめから議論なんてしない方がいいくらいかも知れません。

それは、相手の矛盾点を指摘し合っているだけで、その「言い争い」に「内容」と言えるものはあり得ません。


人間の言うことには、必ず「矛盾」が含まれていますから、それを指摘することはそれほど難しくはないでしょうが、「話の層」を外して、「矛盾」を指摘することは、「批判のための批判」であって、「実質的な意味を持った批判」とは言えないでしょう。


この「話の層」を外すことや、「話の層」をコロコロと変えて相手を撹乱することを、巧みなディベートだと言ってしまっている傾向があるように思いますが、そういう「言い争い」は、常に全くの不毛です。


「共通の層」に合わせて「話」をしつつ、そこで生まれた「批判」にこそ、価値があるのだと思っています。


「議論」をするには、先ず、「共通の層」の中で「話」をするということが大前提であって、そのうえで、「話」に参加する人が、共有できる「話の層」をしっかりと決めてから「話」を進めることが必要になってくるわけです。

そうすることで、その「話」の本当の内容がどんなものなのかが見えて来るんだと思います。

現在、ディベートにおいて巧者と考えられている人には、まったく「内容」の無い「話」しかしていない人が、かなりいるように思えるわけですが、そういうことが、世の中をツマラナイものにしていることは間違いないことかと思われますので、「話の層」は守った方がいいんじゃないのかなと。


そんな風に思います。





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