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「迷うこと」は美しい



「迷いが無いこと」は、だいたい「良いこと」と言われているんでしょうけど、これからの「芸術」においては、「迷うこと」が必要になるんだと思っているわけです。


と言うか、「迷わないこと」は、もうすでに「美しいこと」とは言えなくなってしまっていると思うわけです。


例えば、古典的な技法に基づいて絵を描くときには、努力や修練は必要ですが、「迷い」は必要とは言えないでしょう。
むしろ、迷わずに技法書に書いてある通りのことを練習するほうが、確実に上達するには、近道に違いありません。


もちろん、その絵を「より良い絵」にするには、さらに、自分なりの工夫や感性も必要になって、そこに「迷い」の余地もあるんでしょうが、古典技法そのものを「最善」と考えた場合は、「迷い」の領域は極めて小さいものになるわけです。

それは、それで一つの選択肢ではあると思いますけど、それが、果たして「美しい」のか?ということです。

昔は、それが「美しかった」んでしょう。
でも、それは「技法」自体が確立されていなかったことによる部分が大きいと思うのです。

つまり、人が確立した「技法」を習得するというよりは、「技法」を編み出しながら制作していく必要があったわけですから、当然そこに「迷い」が発生していたわけです。
そして、最終的にその「技法」にたどり着く「過程」が「美しいこと」だったわけです。


これは「芸術」を「精神的なもの」と考えるか、「物質的なもの」と考えるかで、見え方が違って来ることなのでしょう。


「物質的なもの」と考えれば、「美しい絵」は「美しい絵」に他ならないわけですから、その「過程」よりも「出来栄え」が重要になるのでしょう。

反面、「精神的なもの」と考えれば、その「出来栄えの美しい絵」は、「手の込んだ塗り絵」ということになるわけです。
「塗り絵」がダメだということではなくて、「塗り絵」は「精神性」を追求するものではないということでしょう。


実際には、「芸術」は「精神性」と「物質性」の両方を持っていなければ成り立たないものなわけですから、どちらか一方を捨ててしまえば、当然、「芸術として美しいもの」とは言えなくなってしまうわけなのです。


ほとんどの人が、「良くできた贋作」を「芸術として美しいもの」とは考えないでしょう。
「物質的なもの」としては、ソックリに描かれているわけですから、「本物」と同じ、またはそれに近い価値があるということになるわけですが、なぜ、そこには「芸術的な価値」を感じられないのでしょうか?

要するに、そこに「精神性」が欠如しているからでしょう。

極端な話、「本物」よりも「美しく」仕上がっていたとしても、そこに「精神性」がないために、それは「芸術」とはならないのです。

もし仮に、そこに「精神性」が導入されれば、その絵は、「本物」から離れて「贋作」としては成り立たなくなってしまうでしょう。
つまり、「芸術として美しいこと」と「贋作として美しいこと」は両立し得ないということです。


そして、その「芸術の精神性」と「迷い」が、深く関係していると思うわけです。


前述の、「古典的な絵」と「贋作」を一緒にするつもりはありませんが、「迷い」がない、あるいは「迷い」の領域が狭いという意味では、同じ性質があると思うのです。


これは、なにも「古典技法」に限ったことではありません。
どんな手法でも、そこに「迷い」がなければ「精神性」は生まれないのではないかと思います。


あえて、断言してしまえば、「芸術」における「精神性」の大部分が「迷い」ではないかと思っているわけです。
つまり、「迷うこと」こそ「美しいこと」なんだと思うのです。


ただし、先ほども述べましたように、「芸術」は「精神性」だけでも成り立ちませんから、「物質的な美しさ」も必要になるわけで、
そんな中で、「迷うこと」で遠ざかる「物質的な美しさ」を繋ぎ止めつつ、「迷い」という「精神的な美しさ」を手放さないようにすること、これが現在の「芸術」に課せられている課題なんだと思っているわけです。


『迷うことは美しい』

『いや、迷うことこそが美しい』


そんな風に思っています。





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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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