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「お金」って「シゴトの報酬」に向いていないんじゃないでしょうか?



「シゴト」の「報酬」といえば、当然「お金」ということになっているわけですが、実は、「お金」は「シゴト」の「報酬」としては、けっこう不適切なものだと思うのです。


よく、『「お金」はあっても邪魔にはならないだろう』なんて言われますけど、要するに、それだけ、あれば便利なものだということでしょう。

確かに、置いておいても腐るわけでもなく、都合よく、なんにでも姿を変えてくれる「お金」は便利なものではあるわけです。


ところが、そんな「お金」にもできないことがあるわけで、「お金」は「精神的な満足」を生み出さないという性質があるわけです。


この点について、「お金で買ったもの」が生み出す「満足」を、「お金」が生み出していると思ってしまいがちなんですけど、それは、あくまで、「もの」が生み出した「満足」であって、「お金」が生み出した「満足」とは言えないと思います。


例えば、お腹がすいているときに「食べ物」を買うことができる「お金」は有効です。
でも、お腹がいっぱいの時に「食べ物」を買うことができる「お金」はアリガタ迷惑です。

『だったら違うものを買えばいいだろう!』

その通りですが、それじゃあ、「買いたいもの」がない人はどうしますか?
たとえば、「うつ状態」の人は何も欲しくないと言うかもしれません。

その人に必要なのは、「もの」でも「治療」でも「薬」でもなくて、「希望」や「意欲」でしょう。


「お金」は、それを生み出しません。


これは、「うつ状態」の人だと”わかりやすい”というだけで、健康な状態の人にも、ほぼ同じことが言えると思います。


実は、「お金」が姿を変えられるのは、「生活に必要なもの」ぐらいで、それ以上の「精神的な満足」を生み出すことができるものに、「お金」が姿を変えてくれることはないわけです。


『いやいや、贅沢品や芸術品などはお金で買えるし、精神的な満足を生み出してくれるだろう』


確かにそうですが、自分のほしくない「贅沢品」や好きでもない「芸術品」は、「精神的な満足」を生み出しません。

これは「うつ状態」の人が何も欲しくない時と同じでその人に必要なのは、「好奇心」や「感性」でしょう。


やっぱり、「お金」はそれを生み出しません。


実際には、「精神的な満足」を生み出しているのは、「もの」ですらなくて、その人自体でしょう。
その人の「心の状態」といえばいいんでしょうか?


そこで、「シゴト」の「報酬」なんですが、「シゴト」は、どんな「シゴト」でも結構大変ですから、みんな「報酬」が多いほうが嬉しいわけです。

でも、今言ったように「お金」は「生活に必要なもの」ぐらいしか与えてくれませんから、けっこう高い給料を貰っている人でも、いつも「不満」なわけです。

「お金」をたくさん貰っても、「精神的な満足」は与えられませんから、当然といえば当然ですね。

それで、ある人は「やる気」がなくなり、ある人は「もっと給料の高い仕事」を求めるようになるわけです。
要するに、物欲で埋め尽くすことで補おうとするわけですね。


しかし、それでは「精神的な満足」に近づくとは限りません。
「給料が高いこと」によって「精神的な満足」が得られるのではなくて、そこに「評価」や「賞賛」がついてくるから、それが得られているわけです。
「給料が高いこと」が「評価」を現す基準に成っているということでしょうね。

でも、実際には「給料」で「評価」を表す必要はないんじゃないかと思います。

ただ単に、今は「給料」=「評価」ということになっているために、「給料」が唯一の「評価」のための手段になっているわけですが、「お金」をいくら出しても「精神的な満足」が提供できないとすれば、その「お金」はほとんど無駄になるだけでしょう。


「お金」は「生活に必要なもの」を買える程度で、ほんとうの「報酬」は、その人が「精神的な満足」を得られるような「心の状態」でいられる環境として与えられるのがいいように思うのです。


そういうシステムで運営する企業が出てくれば、今ある「重大な社会的問題」がいくつか解消されるんじゃないかなと。


そんな風にも思いますね。




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