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「自己を拡大すること」と「自己を表現すること」



「現代の芸術」と言うは、一言で言えば「自己を表現すること」なんだと思っているわけです。


過去においては、「芸術」と「技術」の区別が、今よりも曖昧であったように思いますから、必ずしも「自己表現」としての比率が高いとは言えないものでも、「技術的」に高い水準に達していれば、「芸術」とみなされることが多かったんだと思います。


しかし、「現代」においては、ある程度「芸術」と「技術」は区別されて来ていますから、いくら高い「技術」を示したとしても、「自己表現」が示されていなければ、それを「芸術」と呼ぶことは出来なくなってきているのでしょう。
(と言っても、そこのところが、未だにはっきりと示されていないという問題が無いともいえないわけですが)


つまり、「芸術」を規定するために、最も重要な要素が、「自己を表現すること」だと思うわけです。


さて、ここで、「自己を表現すること」が、「芸術の最も重要な要素」だとして、「現在の芸術」が陥っている「落とし穴」の一つが、「自己を拡大すること」ではないかと思っているわけです。

つまり、現代に成って、芸術の最も重要な要素が「自己を表現すること」に、かなりのところまで限定されたことによって、その部分を強化しようとしたために、「自己を表現すること」と「自己を拡大すること」がすり替えられてしまったんだと思うわけです。

現在に至っては、その”すり替え”が、もはや公認のものとなりつつあって、「作家が自己を肥大化させること」こそが「芸術」であるかのような錯覚が生み出されてしまっていると言ってもいいでしょう。


しかし、「自己を表現すること」と言うのは、あくまで、「自己」を”そのまま”「表現」することであって、本来、如何に”そのまま”であるかが重要なハズなのに、「拡大」したり「肥大化」させたりしてしまったら、その時点で”そのまま”ではなくなってしまうわけです。

ですから、作り手の側はもちろんのことでしょうが、「芸術」を鑑賞する側の人も、「自己を肥大化させること」を「自己表現」と同じものと思ってしまうと、「落とし穴」にはまってしまうんだと思うわけです。

それは「自己表現」ではなくて「自己主張」だと思うのです。
まぁ、より正確に言えば「自己誇張」かも知れませんけどね。


でも、そういう「自己主張」ならば、なにも「芸術の場」でなくとも、社会の中にイヤと言うほど溢れています。
むしろ、そういうことから逃れるためにあるのが、「芸術」と言う「場」なのではないでしょうか?

そういうところが「現在の芸術の落とし穴」なんだと思います。


作り手は「自己を表現すること」を目指して、「自己を拡大すること」に成ってしまっています。
鑑賞者は「ストレートな自己表現」を求めて、「肥大化した自己主張」を見せられてしまっています。


だから、創作者は「自己を拡大すること」にとらわれてはいけないし、鑑賞者は「肥大化した自己」の威圧感に屈服してはいけないんじゃないのかなと。


そんな風に思っているわけです。





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