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【芸術の20世紀喪失宣言】:「宣言」について



このブログは、【芸術の20世紀喪失宣言】と【真術の紀元宣言】と言う、二つの「宣言文」をメイン・テーマとしております。
この二つの「宣言文」のうち、主に【芸術の20世紀喪失宣言】について、遅ればせながら、これから少しづつ説明を加えて行こうかと思っております。


まず、この二つの「宣言」は、私が自己作品の創作に当たっての「姿勢」を示したものです。


「宣言文」の中にも書いてある通り、私といたしましては、「宣言文」にあるようなことについて、そんな風に成って行くんじゃないかと思っていますし、そう成ることは、ある程度、必然的なことなんじゃないかとも思っておりますが、また、それは、既にそう成りつつあることだとも考えております。

つまり、予測や推測ではなく、もう事実だと言う前提で書いています。
(あくまで、私の中の事実ということです)
その結果として、断定的な言い方が多くなっておりますが、それらのことがすでに起きていることであると言うつもりで書いていますので、そこはお許しいただきたいと思っております。


さらには、「宣言」と言う形をとっていますので、全体的に強い口調で書かれています。
そのため、人に対して何かを要求するようなニュアンスにになっている部分があるかと思います。

実際に、人に対して呼びかけている場合もありますし、何かを求めている部分もありますが、それは、あくまで「芸術」と「人間」のことを、真剣に考えようという人に対しての「問いかけ」でもあり、また、最低限の必要性を感じたことから発した問題提起でもあります。
つまり、「芸術」においての必要最低限の方向性だけは、取り戻されなければならないだろうという考えから言っているものです。


また、それ以上に言えることは、ほとんどの重要な部分において、『要求している』のも、『要求されている』のも、実を言えば、私自身なのです。


私は、どのようなことであれ、それに関わる者には、「責任」が発生すると思っています。

「食」に関わる者は、「衛生上の責任」を負うことに成ります。
「住」に関わる者は、「建築物の安全上の責任」を追うことに成ります。
それらは「味」や「デザイン」などとは、また違う「最低限の責任」です。


当然のこととして、「芸術」に関わる者にも、そうした「創作」や「感性」とは違う「最低限の責任」があると思うのです。

それら「創作」や「感性」に関わる部分では、「芸術」には「特別な自由」が与えられていると思っていますし、そうあるべきだとも思っています。

しかし、それを「ナンデモアリ」と解釈してしまうことは、結果的に「芸術をもって芸術を殺すこと」にもなるのだと思うのです。
ですから、「芸術」に関わる者は、与えられている「自由」をどのように使っていくのかを、よくよく考えなければいけないのだと思うわけです。


そして、それこそが「宣言文」に記した「姿勢」でもあります。


さて、この「宣言文」における、私の目的といたしましては、まさに「それを言い切ること」であったわけです。
つまり、「宣言文」をここに投稿した段階で、目的はある程度達成されていると思っております。


しかしながら、私が「宣言文」に表明した「姿勢」については、『これを生涯を通じて持ち続けることに成るのだろう』と思っているものでもありますので、その道程が終わることは無いだろうとも思っております。


そんなことから、もう少し、ここに付け加えられることはあるだろうと思って、「宣言文」の他にも記事を書いています。
他の記事での目的も「それを言い切ること」であることは、ほぼ同じだと思っています。



それから、もう一つお断りしておきますが、私は、今のところ、ここに「自己作品」を投稿しておりません。
と言うよりも、このブログの中に「画像」は一つもありません。

 ※その後、デジタルカメラを購入したので、ブログのトップ画面とプロフィー
  ル画像に、習作として描いた絵(部分)を二点、「一枚だけの展示室」とい
  うカテゴリにおいて、常に一点だけの本作品を公開しています。


このブログを始めた当初、私は他の方のブログを見る機会がほとんどなかったので、「芸術」に関するブログでも、作品や画像のないものは沢山あるものと思っていました。

実際には、「芸術」のブログで、文章だけのブログはとても少ないようですが、どちらかと言えば、そういう状況を不自然に感じてしまいます。
むしろ、文章だけの「芸術」のブログがもう少しあってもいいように思っています。

私の中では、「芸術」とは「考えること」でもあるので、「文章だけ」でも成り立つということは、むしろ必要なことだと思っております。

それは、「作品だけ」で成り立つことと、私の中では矛盾いたしません。


言い換えれば、「文章だけで芸術を論じることを否定するということ」は、「作品だけで芸術が完結するということ」を否定することに成ると思っています。


この点について、私は、「思考」については、出来得る限り「言葉」だけで表現したいと思っていますし、「作品」については「その作品」だけで表現が完結されている方が望ましいことだと思っています。

あくまで、”できるだけ”ということですから、「言葉による表現」と「作品による表現」を絶対に混ぜないということではありませんが、
この二つを『できるだけ分けよう』と言う姿勢が必要なんじゃないかと思うわけです。


将来的には「未定」ですが、今すぐに「画像」をアップする予定はありません。
取り敢えず、「文章だけ」でやれるところまでやってみようと思っています。


この「宣言」と私の「自己作品」とは、共通の「姿勢」から出来ております。
従って、これを分け続けることには、やや無理があるようにも感じつつあります。

しかしながら、私には、『この「宣言」を、できるだけ多くの人の心に当てはめて、考えられるようなものにしておきたい』という気持ちがあります。

ですから、「作品の印象」で「宣言」の解釈が限定されることや、「宣言の内容」で「作品」の解釈が変わってしまうことは、あまりうれしくはないのです。

それ以前に、いま「私の作品」などよりも大事なことがあると思っていますし、それを「宣言文」に書いたつもりです。

そんなわけで、「未定」ということに成っています。


また単純に言って、デジカメを持っていれば「画像」をアップしていたかもしれませんが、私はデジカメを使ったことがありませんし、今のところ必要性も感じないので、「画像」が無い状態です。


いつか私が「作品」をアップするときには、『なーんだ、こんなものか』と言って見てやってくださいませ。
また、それまでの間は、『どーせ、大した絵なんか描いているわけないさ』と言いながら、この「ブログ」をお読みくださいませ。


と言うわけで、今後このカテゴリで、なるべく具体的に【芸術の20世紀喪失宣言】について、説明していこうと思っていますので、興味のある方は読んでみてください。

興味のない方も読んでみてください。

どうあっても読みたくない方は、読んでみないでください。


どうぞよろしく。



2017年10月から画像を追加するようになりました。


私の作品については、

≪「一枚だけの展示室」≫というカテゴリにある記事の中に一つだけ画像を入れててあります。

あとは、このブログのトップ画面とサムネイル画像などの小さな画像は、

私が描いた絵を横長の画面や小さい画像向けに編集したものです。


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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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