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「有利を選ばない」と言う「進化」



「生命の進化」と言うのは、基本的に「有利を選ぶこと」なんだと思うわけです。
でも、時には「有利を選ばない進化」と言うものもあるんじゃないかと思うのです。


例えば、わざわざ外敵に見つかりやすい派手な色をした鳥や動物はけっこういますし、『どう見ても、不便でしょ』と言うような「ツノ」を持っている動物なんかもいるわけです。


それもまた、「何らかの意味での有利」なのかも知れませんが、少なくとも「単なる有利」ではないように思います。


彼らにとっての、ナニがその「進化」に影響したのかはわかりませんけど、単純に考えられるような「有利を選ぶこと」とは違うような気がします。


そして、何が言いたいのかと言うと、この「有利を選ばない進化」が一番多いのが人間なんじゃないかということなわけですね。


人間の場合、見た目にわかりやすい「色」や「形」ではなく、「行動」や「思考」に、その「有利を選ばない進化」が出ていることが多いようです。


例えば、人間は「弱者」を見ると「助けたい」と思ったりしますけど、これは、自然界では「一種の命取り」ですよね。

実際、野生動物の世界では、同種属の中でも「弱者」は大抵の場合切り捨てられてしまうのでしょう。


でも、人間は、「道徳心」とか「正義感」と言うよりは、むしろ「本能的」に、「弱者」に対して『助けたい!』と言う気持ちを抱くのだと思います。
どちらかと言うと、そういう「本能的な反応」を、言葉に置き換えて説明したのが「道徳」や「正義」なんじゃないかと思うわけです。


”ドライ”な考え方の人は『「弱者を助けても誰のためにもならないんだ』と言うかもしれませんが、自分のすぐ横で、「弱者」達が累々と屍となって行っても、まだ、平然としていられる人と言うのは、そんなに居ないんじゃないかと思います。


結果的に、『助けたい!』と思った人の方が自然で、『助けても意味はない』と言う人の方が、むしろ無理をしているように見えてしまうことが多くなってしまうわけですね。

だとすれば、人間にとって『弱者を助けたい』ということの方が「本能」に近いということでしょう。
つまり、そこでは、人間が「有利を選ばない進化」をしてきたということなんだと思うわけです。


それから、この「有利を選ばない進化」と言うのが、これからの人間の方向性を指し示しているんじゃないかとも思うわけです。


もっと正確に言うと、「有利を選ぶ進化」と「有利を選ばない進化」のバランスですね。


過去にも、繁栄しすぎた「種」が滅びたということはあったのでしょうし、もう、そんなに繁栄しなくてもいいんじゃないかと言う気もしますから、「有利」と「不利」のバランスをとって行った方がいいんじゃないかと思うわけです。


また、人間にとっての「進化」が、そういう過程に差し掛かっているということなのかも知れませんね。


先ほどは、話の流れ上「弱者を助けること」=「有利を選ばない」のように言ってしまいましたが、実は、その二つはイコールではなくて、「進化」の過程が高じて来ると、物事が一元的に捉えられなくなってきますから、「有利」が「不利」になったり、「不利」が「有利」に成ったりすることが多く成って来るんだと思います。

つまり、「弱者を助けること」が「有利」に作用する場合も出て来るということですね。

だから、いまの時点で「不利」であっても「進化の先」に達した時点で「有利」になっているかもしれないし、その逆もあるわけですね。

その結果、「有利を選ぶ進化」と「有利を選ばない進化」のバランスをとることが、「大きなリスク」を減らすのに有効になってくるんだと思うわけです。


それから、もう一つ言うと、過去には「進化」に対して、「個体の意識」が直接影響するようなことはなかったのでしょうが、こういうことで、「進化」に対して「個体の意識」が影響するということも出て来るのかも知れませんね。

つまり、人間は、今、自分が考えていることが数万年後の人類の進化に影響しているという意識を持っているということですね。

と、まぁ、そんな風に思ったりもするわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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