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「人間の本能」と「社会の本能」



このブログでも何度か書いていることなんですが、「社会」や「組織」などの人間の集団には、ある種の「意思」が存在すると思うのです。

つまり、人が集まると一人一人の「意思」とは違う、全体の「意思」が生まれて来るということですね。

   ※2014年6月15日・2015年1月14~15日などの記事で書いています。


そう考えると、人間に「本能」があるように、「社会」にも「本能」が発生するんじゃないかと思えてくるんですね。


一人一人の「人間の本能」は、遺伝子などに組み込まれて受け継がれているということに成っているわけですけど、「社会の本能」は、情報や書物によって受け継がれているんだと思います。

まぁ、実際には、それらの情報に触れなければ、なにも伝達されないわけですから、それを先天的に受け継がれた「本能」と同じように考えるのは、厳密に言えば、「間違い」なんですけどね。


でも、「現代社会」においては、「その社会」に生まれた人は「その社会の情報」に触れずに育つことは、ほとんど不可能と言ってもいいくらいなわけです。

だから、それは選択の余地がないこととも言えるわけですし、それらの情報の多くは、ずいぶん前の世代から受け継がれているようなものなんでしょうから、「社会」を生き物のように考えた場合、それが先天的に受け継がれたものであるとも言えなくもないわけです。


いわゆる「お国柄」みたいなものによって、そこに住む人の「嗜好」がずいぶん違ったりすることがあると思いますけど(例えば、「異性」についての「嗜好」なんかですね)、、ある国では、太めの人がモテて、違う国では痩せていないとモテないなんていうパターンがありますよね。

そういうパターンには「その時代の流行」に近いものと、「時代を超えた伝統的」なものがあると思うのです。
その「時代を超えたもの」の方を「社会の本能」として捉えたら面白いんじゃないかと思うわけですね。

こういった「嗜好の違い」は、「食べ物」や「色」などいろんなところに出ていると思うんですが、ほとんど、「個人の嗜好」とは言えない場合も多くて、そういう場合は「社会の嗜好」なんだと思います。


つまり、「個人的な好み」を差し置いて、ある種の「逆らえない欲求」が生み出されているわけですね。
これは「本能的な欲求」にかなり近いものなんじゃないかと思うわけです。


そこで、これも前に書いたことなんですが、そういう「集団の意思」と言うものが、そこに属している「個人の意思」を完全に無視して暴走することがあると思うんですね。


よく、会社で会議なんかをやると、「みんなで話し合って決めたこと」のハズなのに、「誰も望んでいなかったこと」が結論になってしまうことがあると思うんですね。

しかも、そういう時の「結論」は大抵トンチンカンです。


そういうのは、「集団の意思」なんだと思いますね。
これは、必ずしも話し合いが不十分だったからとか、意思の疎通が取れていなかったからということではなくて、時には、話し合えば話し合うほど方向がズレてしまうということもあるんじゃないでしょうか?

つまり、話し合うたびに「集団の意思」が強化されていって、「個人の意思」が抵抗できなくなっていくということでしょう。


そうなると、「社会の本能」については、どうなのか?
要するに、「社会の本能」が「人間の本能」を圧迫していることもあるんじゃないか?ということですね。


なんだか、そういうこともありそうですね。


そもそも、「現代社会」においては、何が「本能」で、何が「本能」じゃないのかっていうことが、意外と見え難い状態になっているんじゃないかと思うんですね。


例えば「食欲」にしても、いま何が食べたいのか?っていうことが、今の時代は、とても解り難い状態なんだと思うわけです。

寿司屋さんに行って『なんでも好きなものを注文していいよ』と言われたら、「遠慮すること」を抜きに考えた場合、大抵の人が、まず、値段の高いものから頼むでしょう。


少しでも「トクしたい」という「欲」が働くわけですね。
「食欲」ほど「根源的な欲求」ではないにしても、この「トクしたい」と言う「欲」はかなり「本能的な欲求」と言えるでしょう。

「食欲」が「人間の本能」で、「トクしたい」が「社会的な本能」ということですね。

そこで、「人間の本能」が「社会の本能」に邪魔されて、何が本当に食べたいのかが解り難く成るわけです。


まぁ、そんなにアサマシイ人ばかりでもないでしょうが、そういう「人間の本能」なのかどうかがはっきりしないような「欲求」はほかにもたくさんあります。


今なら「ダイエット志向」がありますね。

何かにつけて、『太るものは食べたくない』という、一体どこから出てきたんだかわからない「欲求」が「人間の本能」である「食欲」を圧迫していることがよくあります。


それから「健康志向」もありますね。

『体に悪いものは食べたくない』
『体にいいものなら少しくらい不味くてもいい』

こういうのも「人間の本能」が圧迫されているような気がしますね。


こういう時には、「社会の意思」や「社会の本能」が関係しているんじゃないかと思うんですね。


それで何が言いたいかと言うと、『「社会の意思」や「社会の本能」に惑わされずに、「人間の意思」「人間の本能」に目覚めよう!!』ということなんですね。


これも前に書いたんですけど、人間と言うのは、「個人」では、おおむね「正しいこと」をする生き物なんだと思うんですが、「集団」や「組織」に成ると、おおむね「間違ったこと」をする生き物なんだと思うのです。
と言うよりも、そういう性質を持っているのは「社会という生き物」なのかも知れませんね。


その上、「個人」なら間違っても、被害の規模が小さいですけど、「集団」の間違いは取り返しのつかないことに成ることがあるので、やっぱり、「人間の本能」つまり「個人の意思」に従って行動した方がいいんじゃないのかなと。


そして「自分の人間としての本能」が何を求めているのかを、出来るだけ、見極めていった方がいいんじゃないかと思いますね。


まぁ、「集団」が「個人」にとっても有益な判断を下してくれれば、そんなこと考えなくてもいいんでしょうけどね。

「社会」のどこを見渡しても、いろんな意味で”期待ウス”な感じですね。


たぶん、一人一人は、みんなそれなりにイイ人なのにねぇ。

なんで群れると『えっ?!』っていうことが起きてしまうんですかねぇ。
(群れていない人でも、「社会」を意識しすぎるとそうなりますね)


と、そんな風に思うのです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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