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「テレビ」考



放送が地デジ化した時から、テレビを見なくなって数年たちましたが、まったく”見たい”と思いません。

これは、けっこうショッキングでしたね。

なにせ、完全な「テレビ世代」ですから、当然すぐに耐えられなくなって、テレビを買うんだろうなと思っていたんですよねぇ。
(私の場合、テレビを見られる契約は、なんにもしていません。見るとしたら「YOU TUBE」ぐらいですか?)


ところが、一か月たっても、二か月たっても、まったく見たくならなくて、『あれ?テレビって、なくてもイケルの??』っていう感じでしたね。

正直言って、あれば、見ていたと思います。
きっと、いまでも、あればスイッチを入れてしまうでしょうね。
でも、無いので見れないということですね。

でも、なぜか、まったく見たくならないんですね。
「おどろき」です。

考えてみると、『見たくない』のに、『あったらタブン見ちゃうだろう』っていうのも、おかしな話ですけどね。


確かに、『テレビがつまらない』と言うのはあります。
でも、そういう問題じゃないような気もします。

実際、つまらなくても見てきたわけだし、今でも、あればつけちゃうんでしょうから、『ツマラナイから見ない』~『見ないから買わない』と言うよりは、『無いから見たくならない』ということなのかなと。

逆に言うと、面白い番組がたくさんあっても、『無ければ、無いでいいのか?』って感じだと思います。


もともと、「テレビ」ってそういうものだったんじゃないのかなと思うわけです。

「コンビニ」とか「宅配」なんかもそうですけど、『あると、つい、使ってしまうモノ』っていうんですか?
裏を返せば、『無ければ、無いでどうってことないモノ』ですね。

それらは、すべて『労せずして~してくれるモノ』なわけです。

「テレビ」は「つけるだけ」
「コンビニ」は「2~3分歩くだけ」
「宅配」は「待ってるだけ、呼ぶだけ」

どれも、ホントに『労せずして』なわけです。


でも、これが、「便利」とはちょっと違うように感じる時があるわけです。
「便利の押し売り」的な感じですかね。
『それほどまでじゃなくても』っていうやつですね。


「テレビ離れ」が進んでいると言う話をよく聞きますけど、これは,必ずしも「テレビ」が”ツマラナイから”でもないんじゃないかと思うんですね。

確かに、”ツマラナイから”見なくなったという人は多いと思いますけど(私もそうです)、「見ないで居続けられる理由」は『無くてもいいことが分かったから』なんじゃないかなと。


それで、こういう展開だと、『テレビ、もういらないんじゃない?』と成りそうなんですけどね。


実は、最近になって、最終的に、また「テレビ」が必要になってくるんじゃないか?
と思うように成ってきたわけです。


よくよく、考えてみると、子供のころから見続けてきたわけですから、「テレビ」から得た知識の量と言ったら、他のモノでは到底補えないんじゃないかと思ってしまうほどの膨大さなわけです。
これに匹敵する量の知識を得ようと思ったら、相当な「労苦」を伴うんじゃないかと思いますねぇ。


そこで、話は『労せずして』に戻ってくるわけです。

その量の知識を『労せずして与えてくれた』のが「テレビ」だったのは間違いないことなんですねぇ。

取り敢えずつけているだけで、なんとなく、そこそこの知識が入ってくる仕組みになってるんですねぇ「テレビ」っていうのは。
だから、『労せずして』が特徴の「テレビ」と言うメディアは、これから「知識」や「情報」に特化していく方がイイんじゃないかと思うわけです。

たぶん、「テレビ」の影響力は「教育」に匹敵しますよね。


一見すると「情報量」で「インターネット」には勝てないようですけど、「ネット」の最大の欠点は、「疲れること」だと思います。
それに、ナンダカンダ言って時間がかかります。
それなのに、「ナガラ~」には向いていません。

要するに、「ネット」は『労せずして』じゃないわけですね。

さらに言うと、意外と労力を必要とする割に、『達成感を得られない』と言う感じもありますね。
何かにつけて、興味のない情報がズラーッていうのが多いっていうことですね。
つまり、「ネット情報」は「質より量」なんだと思うわけです。
だから、「充実感」や「達成感」が薄いんですね。


自分のことで言えば、「テレビ」が「自分に必用な情報を提供してくれるモノ」に成ったら、たぶん、「テレビ」に戻ると思います。
『つけるだけ』・『労せずして』の方に、どうしたって引き寄せられてしまうんじゃないでしょうか?

これは「面白い」ということとは,ぜんぜん違うことだと思いますね。
「面白いかどうか」ではなくて「必要かどうか」じゃないでしょうか?


このブログでは、「不便のススメ」みたいなことを書いていることがありますけど、それは、「不便」が切り捨てられ過ぎてるんじゃないかということで、なにもかも『不便な方がいい!』と言っているわけじゃありません。

それに「不便」が『”意外と”面白いですよ』と言っているだけで、『役に立つ』とは言ってませんので、あしからず。


さて、「テレビ」にとっての問題は、『その知識が必要かどうか』だと思います。


「テレビ」は「個人への必要な知識の供給の場」、「ネット」は「個人からの”ナニカ”の発信の場」と言う色分けはあり得るんじゃないでしょうか。
ついでに言うと「教育」は、「公的に与えられる情報の場」ですかね。


「ネット」の方は、もっと「個人」に特化していいんじゃないかと思いますね。


要するに、「テレビ」に求められているのは「必要なモノ」=「便利」で、「ネット」に求められていくのは、「不必要なモノ」=「不便」なんじゃないかなと。

 ※実際は、「ネット」には、その両方が求められていくんでしょうが、
  本当は、「ネットの便利さ」は、切り捨てた方がいいような気もします。
  「ネット」は、「無機質的」なんですね。
  だから、『利を追うと、利に走りすぎる』きらいがあるような気がしますね。


今は、「テレビ」が、見当違いで不必要な「面白いこと」を追いかけていて、その代りに「ネット」が、疲れて時間がかかる「必要なこと」を提供しています。


でも、「必要なこと」が、いつも「労せずして」得られて(テレビで)、時々、疲れてもいいなと思ったら、「不必要なこと」をのぞいてみる(ネットで)というのが、”ラク”なんじゃないかなと。

まぁ、『面白いかどうか』は『当たればラッキー』ということでいいような気がします。
「面白い」って、本当はそういうものなんじゃないかっていう気もしますしね。
要は、その辺が丁度いいんじゃないのかなと。


まぁ、そんな風に考えてみたわけです。




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プロフィール

ふたつ

Author:ふたつ
※トップ画面とプロフィール画像の絵は習作として描いた絵です。

ご訪問いただき、ありがとうございます。

自分自身の制作に対する姿勢を示した「宣言文」をブログの形で発表するのは、筋が違うのかとも思いますが、このような形しか思い当りませんでした。
ご容赦ください。
興味のない方にはたぶん面白くないでしょう。

ただ、私はここに書いたことがこれから確実に起きることだと思っています。
と言うよりも、すでに起きていることだと思っています。
「天才の時代」は、もう終わらせなければいけないと思うのです。
「天才」なんてもう何処にも居ないのだと思うのです。
「天才」は、もう誰にとっても必要ないモノに成っているんじゃないでしょうか?。
「普通の人」が、もっともっと芸術に関われるようになったら、
少しいいんじゃないかと思います。

いえ、芸術に限った話でもないのです。
全てのことが、今よりもっと「普通」でいいんじゃないでしょうか?
「個性とは実は最も普通なことなのではないのか?」
私はそんな風に思うのです。

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1960年の生まれです。
横浜在住です。
過去に何一つ実績と言えるものはありません。
30歳に成った頃、絵を描き始めました。
その後、細々と美術に関わる仕事をしていましたが、自己作品の制作にはあまり積極的とは言えませんでした。
2013年のはじめ頃から、自己作品に対する欲求が生まれ、現在は妻の収入に頼って、ようやく制作に漕ぎ着けております。

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読みづらいところもあるかとは思いますが、読んでみて下さい。


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